恐怖体験


 

 宮山という年老いた医者がいた。いかなる人物なのか、その経歴は詳らかではなかった。一説によると本姓は金といい、呉三桂配下の間諜(かんちょう)であったが、三桂が敗れた後に名を変えて市井に隠れた者だ、とも言われていた。しかし、真相は誰も知らなかった。
 胡宮山はすでに八十歳余りになっていたが、その身ごなしは猿のように敏捷(びんしょう)で、武術の腕前は絶倫(ぜつりん)であった。
 その技量を証明するような事件があった。胡宮山の乗った舟が夜、盗賊の襲撃を受けた。この時、胡宮山は完全に丸腰で手許には煙管(きせる)が一本あるだけであった。彼は慌てず、驚かず、煙管を風のような素早さで振るった。煙管は七、八人もいた賊の鼻の穴を直撃し、またたく間になぎ倒した。
 胡宮山はこれほどのつわものでありながら、幽鬼を異常なほど恐がった。その恐がりようは、夜、一人で眠ることができないほどであった。
 本人の言によると、少年の頃、夜道で僵尸(キョンシー)と出くわした。渾身の力をこめて僵尸を殴りつけたのだが、まるで木石を殴るようでびくともしない。そうこうする内に僵尸に捕まえられそうになったが、幸い、相手の隙をついて樹上に逃げることができた。胡宮山をとり逃がした僵尸は悔しがって、歯がみしながら樹の周りをグルグル回っていた。やがて夜が明け、僵尸は樹にしがみついたまま動かなくなった。
 人が行き交い始めてから、樹からようやく降りることができた。僵尸は全身白い毛に覆われ、目は赤く爛々と光っていた。何より恐ろしいのは鉤(かぎ)のように曲がった指と、唇の間からは刀のように伸びた鋭い牙であった。豪胆な胡宮山でさえも恐ろしさのあまり卒倒しそうになったそうである。
 また、ある時、山間の旅籠に泊まった。真夜中、布団の中でモゾモゾと何か動く気配がする。鼠か蛇でも入り込んだのかもしれないと思っていると、突然その動きが波打つように大きくなり、枕元に何かが飛び出してきた。それは素っ裸の女であった。女は両手で胡宮山の体をきつく抱きしめた。その力強いことまるで縄で締め上げられるようである。女は締め付けるだけでなく、こちらの唇に己が唇を押し付けて息を吹き込んできた。生臭さが鼻をつき、胡宮山は気が遠くなった。
 翌朝、胡宮山は意識を失った状態で発見された。手当てのおかげで息を吹き返すことができた。

 このようなことがあって以来、胡宮山はすっかり肝がつぶれてしまい、日没後は風の音や月の影にも脅えるようになった。

(清『閲微草堂筆記』)