二人の孝子


 

 の景定年間(1260〜1264)のことである。
 ある村に二人の若い男が現れた。二人は村はずれに腰かけて通り過ぎる人たちを眺めていた。そこへ年老いた乞食女が通りかかると、二人は駆け寄っていきなりその足元に見を投げ出した。
「母上様、ようやくお会いすることができました。私達を憶えておいでですか?母上様、あなたの息子です。十数年もの間、あちこち探し回ったのですよ。ようやくお会いすることができました。何と嬉しいことでしょう」
 二人は泣きながらそう言って、老女に用意してきた新調の衣服を着せかけた。老女は二人には少しも憶えがなかったのだが、この突然ふってわいたような幸運に目をパチクリさせるだけであった。
 二人は老女に子供として仕え、下女を一人買ってその世話にあたらせた。そして、数人の籠かきを雇い、老女を籠に乗せて新淦(しんかん、注:現江西省)へ向かった。
 新淦に到着すると、二人は大邸宅を借りて居を定めた。街の人々はずっしりと重い長持ちや櫃(ひつ)を五、六個も運び込む姿を見て、途方もない金持ちがやって来たと思った。
 二人の若者は近所へ引越しの挨拶をして回った。その際、
「私達兄弟は幼い頃に母と生き別れになり、寺で写経しながら捜し続けてまいりました。今はこうして報われ、めでたく再会を果たしたのです。これこそ天のおかげです」
 と言うのを忘れなかった。
 新淦でも二人は老女を母と敬い、何くれとなくいたわり暮らした。その姿に街の人々は深く感動し、誉めそやした。中でも皮という富豪が賞賛の声を惜しまなかった。
「ああ、この二人こそ、まことの孝子だ!!」
 そして率先して二人と付き合い始めた。

 ある日、二人は皮のもとを訪れてこう言った。
「実は商売をしてもっと母に楽をさせてやりたいのです。真州や楊州(注:どちらも現江蘇省)のような大きな街でなら私達でももうけを出せそうなのですが」
 皮は大いに喜んで賛成し、二人に元手として銭三百貫を貸し与えて商品を仕入れさせた。二人が老母と下女に長持ちから櫃まですべて残していくことを知った皮はあえて担保(たんぽ)を要求しなかった。二人は老母の世話を皮に託して旅立った。
 半年ほどして、二人は戻って来た。商売は大成功し、元手の数倍もの利益が上がったとのことで、皮に元手の三百貫に利息を山ほどつけて返済してきた。皮は思わぬ利益に喜んだ。
 それから半年ほどして、二人はまた商売に出かけると言って融資をつのった。今回は皮のほかに、前回の成功を聞き知った地元の有力者達も出資してくれたので、二千貫も集まった。二人は二千貫の大金を懐に旅立った。老母も下女も、一切の荷物も邸に残したままなので、誰もが安心してその帰りを待った。

   やがて一年が経ったが、二人の若者は戻ってこなかった。音信さえぷつりと絶えてしまった。出資者達もようやく不安になってきた。そこで、役所に訴え出て、兄弟が邸に残した荷物を検分してもらうことにした。
 役人の尋問に対して老母は、
「私はただの乞食です。母親だなんてとんでもない。たまたま田舎の村はずれで出会って、ここまで連れて来られただけです」
 と繰り返すばかり。下女も、
「私はあの二人に買われただけです。何をしているかなんて存じません」
 と言うだけであった。
 役人は人々立会いのもとにすべての長持ちと櫃を開いた。

 中には石や瓦礫(がれき)がつまっていた。

(元『湖海新聞夷堅続志』)