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猫失踪事件


 

 檜(しんかい)が最初に天子から邸を賜った時、両浙転運司(注:徴税・警察・裁判を掌る役所)は特別に箔場(はくじょう、注:金銀箔の製造と専売を掌る部署)を設けた。
 箔場には多くの官吏が所属していたが、これはもっぱら秦檜の邸の経理事務を処理するために用意されたものであった。この部署は秦檜が死ぬまでの十九年の長きにわたって存続し、その経費は莫大なものであった。
 秦檜には幼い孫娘がいた。このわずか六、七歳の幼女にも、祖父の七光りで朝廷から崇国夫人の称号を与えられた。その幼名を取って童夫人と呼ばれていた。

 ある日、この童夫人の可愛がっていた獅猫(しびょう、注:長毛種の猫)が行方不明になった。早速、臨安府(注:現在の杭州)に期限付きで猫を捜索するよう厳命が下された。しかし、期日になっても猫は見つからなかった。
 業を煮やした臨安府は近隣の住民を拘束し、捜索に関わった武官達を職務怠慢の咎(とが)で処罰しようとした。武官達は恐れをなし、自ら出向いて猫の行方を探し求め、獅猫と見れば片っ端から連れて来た。しかし、どれも違う猫であった。
 そもそも童夫人の猫を見たことがないのだから、仕方のないことといえた。そこで、邸に仕える年老いた兵士に賄賂を贈って猫の姿を教えてもらうと、似顔絵を百枚作り、人の集まる茶館に貼り出した。

 結局、猫は見つからず、臨安府の長官が秦檜のお側役を通じて懇願したため、沙汰やみとなったのであった。

(宋『老学庵筆記』)