庖丁


 

 代、料理人のことを庖(ほう)といった。庖に丁という者がおり、庖丁(ほうてい)と呼ばれていた。
 この庖丁が文恵君の御前で牛の解体を披露した。その手の触れるところ、肩のよるところ、足の踏まえるところ、膝のかがむところ、刀は吸い込まれるように入っていき、牛肉の大きな塊がバサバサと落ちていった。その姿は典雅な舞にも見え、肉を断つ音は楽の音のようであった。
 それを見ていた文恵君はすっかり感心した。
「これだけの技をどうやって習得した?」
 庖丁は刀を置いて答えた。
「臣の好むところは技よりも道でございます。牛を切り始めた頃は、牛が牛として見えておりました。三年経つと牛が牛には見えなくなりました。名人といわれる料理人でも毎年刀を取り替えます。並みの料理人なら月に一本はだめにするでしょう。しかし、私はこの十九年、一本の刀で牛をさばいております。さばいた数は何千頭にも上りますが、今でもおろし立てのような切れ味を保っております。刀が自然と肉や骨のすき間に入っていくので、刃を傷めないですむのです」
 文恵君はますます感心した。
「人の生き方もそういうものなのだろうなあ」

(戦国『荘子』)