睡姫(前編)


 

 族の某が一人の美姫を妾にした。美姫は寵愛を一身に集めていたが、一つだけ欠点があった。よく眠るのである。毎日、朝になっても目覚めないばかりか、ようやく目覚めたかと思うと、昼日中でもうつらうつらしている。しかし、某はその美貌を愛していたので、さほど気にしなかった。
 ある日、美姫は一人で階(きざはし)に立っていた。誰かと話しているような素振りを見せるのだが、周りには誰もいなかった。美姫は部屋に戻ってそのまま横になったかと思うと、三日もの間目覚めなかった。
 こうなるとさすがの某も不審に思うようになり、なぜそんなによく眠るのか問い詰めた。初めのうちは答えようとしなかったが、ようやくこのようなことを言った。
「私は芙蓉(ふよう)城の主にお仕えする身でございますが、お咎(とが)めを受けて俗界に流されております。身は俗界にありながら、夢の中では旧主に仕えねばなりません。すべては罪滅ぼしのためにございます。夕べは石君のお誕生日で諸仙人方がお集まりになられ、私もそのお世話のために出かけておりました。すぐに戻ることができなかったために、だんな様のお疑いを招くこととなりました。どうかお許しくださいませ」
 その内容があまりにも荒唐無稽(こうとうむけい)だったため、某には信じられなかった。そこで、
「もしその話が本当ならば、私もちょっと行ってみることはできないだろうか。実際、この目で見たならば、信じることもできるというものだが。もし嘘なら、それこそ鞭打ちだ」
 そう言って怒りをあらわにした。美姫は某の怒りには頓着(とんちゃく)せず、のんびりと欠伸(あくび)を一つついてから、
「私はこの世にありましては、はかなき浮草のような身。去るも残るも、生きるも死ぬも、すべてはだんな様のお心一つにございます。しかし、お咎めを免れるために天上の御殿を引きかえにすることなどできませぬ」
 某は怒りを感じたが、その美貌に心を奪われていたので退けることはしかね、そのまま側で召し使うことにした。

 数年後、美姫は突然の病で床につく身となった。哀れに思った某はその病床に付き添った。美姫は某の姿を認めると、突然、はらはらと涙を落してこう言った。
「だんな様に可愛がっていただきながら、いまだお報いしていないのが心残りでございます。いつでしたか、だんな様は私に芙蓉城にいらしてみたいとおっしゃいましたわね。ようやくその時が来ましたわ。夜遅くに出発します。ほんのご恩返しです」
 この申し出に某は大いに喜び、どのようにして芙蓉城に赴くのか尋ねた。すると、美姫は、
「今宵はお一人でおやすみになって下さいませ。私がご案内いたします。くれぐれも他言なさらないで下さい」
 と言い聞かせた。
 その夜、某が書斎で一人でやすんでいると、夢の中に美姫が現れた。美姫は化粧をこらし、病気の影など少しも見られなかった。色とりどりに輝く軽羅(けいら)をまとっていたのだが、某の邸の品ではなかった。
 美姫の傍らに控えた一羽の鶴と一羽の鸞(らん)を指し示して、乗るよう命じた。某が恐る恐る鶴に跨った途端、鶴は大空に羽ばたいた。某は墜落しては、と目を閉じてしがみついた。

 

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