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四人の客


 

 仇兼瓊(しょうきゅうけんけい)が西川(せいせん、注:現四川省)を治めていた時のことである。章仇は道教を好み、側近に命じて有能な道術士を捜し求めさせていた。
 西川に一軒の酒屋があり、うまい酒を飲ませる上につけがきくということで評判であった。いつからかこの酒屋には紗の帽子をかぶり、藜(あかざ)の杖をついた四人が酒を飲みに来るようになった。
 この四人の酒量たるや尋常でなく、一度店に来ると数斗は空けていった。つけが十石あまりになると、まとめて払った。四人はのんびりと談笑し、充分に飲み、興を尽くして帰っていくのが常であった。
 彼等はよく孫思貌(そんしばく、注:百家の説に通じ、特に医術に長じた。百余歳の長寿であったという)のことを話題にした。
「あんな子供に何ができる」
 ある人がこの四人のことを章仇に告げた。いたく興味をひかれた章仇は腹心の部下を酒屋に遣わした。部下は四人がほろ酔い加減になったのを見はからって進み出た。
「我が主人の言葉をお伝えします。
『それがしは苦心して修行に励んでおります。近頃、仙官がここにおわすことを知り、お側近くに侍りたく存じます。お許し願えますや否や』」
 部下はそう言って返答を待った。しかし、四人はそれに目もくれず、酒を酌み交わしながら歓談を続けた。ややあって、四人は酒屋の主人にこう言った。
「で、ワシ等はどれだけ飲んだかの?」
「一石でございます」
 すると、四人は手を打って笑った。
「たくさん飲んだものだ」
 そして、席を立ったかと思うと、もう姿が見えなくなっていた。部下は見たままを章仇に伝えた。以来、章仇は酒屋に人を遣わして様子をうかがわせたのだが、一ヶ月もの間、四人は姿を現さなかった。
 ある日、四人がひょっこり酒屋に現れた。章仇はこのことを知ると、供を三、四人連れて自ら酒屋に出向いた。章仇は正装して四人の前に進み出て拝礼した。章仇が自己紹介を始めると、四人はお互いに顔を見合わせ、ゆっくりと立ち上がった。自己紹介を終えた章仇が顔を上げた時には、四人の姿は消え、代わりに柴の燃えさしが残っていた。
 このことがあってから、四人は二度と酒屋に姿を現さなかった。

 時に玄宗は非常に道術を好んだ。章仇がこの一件を上奏すると、玄宗は孫公(注:前述の孫思貌とは別人)に下問した。孫公が答えるには、
「それは太白酒星でございます。仙人としての品格が極めて高く、つねに下界に現れては酒を飲みます。下界のあらゆる場所に現れますが、特に蜀 (注:現四川省)を好んでいるようです」
 とのことであった。
 玄宗も四方に人を遣わし、四人の消息を尋ねさせたが、何の手がかりも得られなかった。

(唐『逸史』)