鉄臼と鉄杵


 

 海(注:山東省から江蘇省にかかる地域)に徐甲という人がいた。最初の妻の許氏は鉄臼(てっきゅう)という息子を残して亡くなった。幼い息子を抱えた徐甲は陳氏を後添いに迎えた。陳氏は先妻の子である鉄臼を邪魔に思い、亡き者にしてくれようと数々の虐待を加えた。
 陳氏にも息子が生まれた。陳氏は生まれたばかりの我が子を抱き上げてこう祈った。
「あの鉄臼を亡き者にしておしまい。もしできなければ、あたしの子ではない」
 そして、鉄臼を搗(つ)きつぶすことを願って、鉄杵(てつしょ)と名づけた。

 以来、陳氏の鉄臼への虐待は度を増し、些細(ささい)なことで手ひどい折檻(せっかん)を加えた。鉄臼は満足に食事も与えられず、寒空の下で薄い着物一枚で震えていた。徐甲は気が弱い上に、家を空けることが多かったため、陳氏は存分に鉄臼をいたぶることができた。
 鉄臼はある時、あまりの飢えにたまりかねて厨房から食べ物を盗んだ。これがもとで、陳氏に杖で打ち殺された。この時、鉄臼は十六歳であった。
 鉄臼が亡くなって十日あまり経った。陳氏の寝室に突然、鉄臼の亡霊が現れると、寝台に上がってこう言った。
「僕は鉄臼だ。罪もない僕をよくもいたぶり殺したな。母さんが天に怨みを訴えたところ、恨みを晴らしてもよい、とお許しが出た。鉄杵に僕と同じ苦しみを味わわせてやる。病気にかからせて、苦しませて苦しませて、そうしてから鉄杵をあの世に連れて行くからな。鉄杵を連れて行くまで、僕はここを動かないぞ」
 家人に亡霊の姿は見えなかったが、声は聞こえた。その日から、鉄臼の亡霊は陳氏の寝室の梁に住みついた。陳氏が跪いて、お供え物を並べて謝る と、
「今さらこんなことを!飢え殺しておきながら、食べ物を供えて許されると思っているのか」
 と罵り返された。
 また、陳氏が夜中に鉄臼の悪口をつぶやくと、鉄臼の声が返ってきた。
「僕の悪口を言えた義理か!よし、梁を切り落としてやる」
 そして、鋸(のこぎり)の音とともに木屑(きくず)が降ってきたかと思うと、屋根が音を立てて揺れて今にも落ちそうになった。一家を挙げて外に逃げ出したが、屋根はもとのままであった。
 鉄臼が戻って来た日から、鉄杵は原因不明の病にかかった。鉄臼は異母弟を罵った。
「僕が殺された時、お前は腹いっぱい食べ、暖かい着物を、家の中でぬくぬくと暮らしていた。家の中はさぞかし居心地がいいんだろうな。いっそのこと家ごと焼き殺してやろうか?」
 突然、火の手が上がり、炎と煙が噴き出した。家中、大騒ぎになったが、外に逃げ出すと家には何の異変も起きていないのである。
 鉄臼は陳氏と鉄杵を罵り続けた。鉄臼は時にこのような歌を唄うこともあった。

 桃李花 厳霜落奈何  桃李の花が厳しい霜に落ちたよ、どうしよう
 桃李子 厳霜落早已  桃李の実も厳しい霜に早くも落ちてしまったよ

 その声はたいそう悲しげで、この世に生きていたかったという思いにあふれていた。
 わずか六歳の鉄杵は一月余りもの間、鉄臼の亡霊にさいなまれて死んだ。体中が痛み、腹はふくれ上がり、吐き気がして物を食べることもできなかった。その上、鉄臼の亡霊に打たれたところは、青いあざとなっていた。

 鉄杵が死ぬと、鉄臼の亡霊も姿を消した。

(六朝『還冤志』)