五原の夜(後編)


 

 文悦は言い終わると、一礼して馬首をめぐらし、駆け去った。
 やがて東の空が明るくなったので、趙合は従者を起こし、五原の城へ向かった。趙合は住民と刺史に李文悦のことを話して聞かせたのだが、誰も李 文悦のことなど憶えていない。それどころか、砂漠の妖怪にたぶらかされたのだろう、と言って真面目に取り合わなかった。趙合はがっかりして城を後にした。
 その後、また砂漠を通りかかった時、李文悦と再会した。李文悦はまず、趙合に感謝の言葉を述べてからこう言った。
「貴殿が話してくれたのに、五原の民は無知、刺史も愚昧(ぐまい)で通じない。近いうちに五原の城には必ずや災いが起ころう。拙者はたった今、冥府にこの城に罰を下してくれるよう訴え出たところでござる。一月も経たぬうちに、五原は恐ろしい災いに見舞われますぞ」
 言い終わると、姿を消した。
 果して、一月も経たぬうちに、五原の城は災害に見舞われ、一万人が飢え死にし、住民がお互いに食い合う生き地獄の様相を呈した。

 趙合は約束通り娘の遺骨を携えて奉天へ行き、その故郷の小李村に葬ってやった。
 翌日、夜道を歩いていると、娘が現れて礼を述べた。
「あなたの義理堅さに深く感じ入りました。実は私の祖父は貞元年間(785〜805)に道術の奥義を会得いたしました。その著書に『参同契』の解説と『混元経』の続編があります。この二書を究めれば、不老不死の霊丹を作ることができるでしょう」
 趙合が二冊の書物を受け取ると、途端に娘の姿は消えた。

 その後、趙合は世俗での栄達を捨て、嵩山(すうざん)の少室山(しょうしつさん、注:河南省)に入り、娘から贈られた書物を片手に霊丹を練り始めた。一年後には瓦を黄金に変えることができるようになり、二年後には死者を生き返らせることができた。三年後に、自ら霊丹を服用して俗世を超越して仙人となった。

 今でも時折、嵩山で趙合の姿を見かける人がいるという。

(唐『伝奇』)

戻る