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饗宴


 

 末、深州(注:現在の河北省)の諸葛昂(しょかつこう)は豪儀なことで知られていた。渤海(ぼっかい)の高賛がこの評判を耳にして会いに行ってみたところ、鶏のすね肉が出されただけであった。
 賛はこれには失望し、昂が評判ほどでもないと思った。そして、翌日、昂等数十人を招いて大酒宴を催した。
 料理には身の丈八尺(注:一尺は約30センチ)もある大きな豚や羊ばかりを用い、薄い餅は広げると一丈余り(注:一丈は約3メートル)もあっ た。この巨大な餅で具を包むと、柱のようであった。盃の代わりに大鉢に酒が満たされた。賛は自ら金剛舞を舞って余興(よきょう)とした。
 後日、昂が賛を招いた。招待客は賛のほか数百人にも上った。客の間を酒を積んだ車が行きかった。馬が炙(あぶ)られ、その肉は臼でついて膾(なます)にされ、石臼でにんにくと一緒にすり潰された。夜叉の歌が歌われ、獅子舞が披露された。
 翌日、賛は返礼に宴を開いて昂をもてなした。主菜は十歳余りになる奴隷の子供を調理したものであったが、このことは客達には知らされていなかった。客達の全てが箸をつけた頃、賛は子供の頭と手足を見せた。びっくりした客達は喉を押さえて吐き出した。
 昂は日を改めて返礼の饗応を催した。最初に寵愛する美女に酒を勧めさせたのだが、この美女がわけもなく笑った。昂は叱りつけてすぐさま下がらせた。
 しばらくは何の変哲もない料理が並べられた。そこへ蓋をかぶせた巨大な銀盤が運び込まれてきた。
 蓋があけられると濛々(もうもう)たる蒸気が立ち上った。その蒸気の中に先ほどの美女が坐っていた。念入りに化粧を施され、美しい綾絹で着飾らせてあった。美女は生きたまま蒸し上げられていた。
 昂は美女の腿肉を裂いて賛等に勧めた。しかし、皆、怖気(おじけ)ついて食べることができなかった。すると、昂は自ら美女の乳房の肥えた肉をつまむと、飽きるまで食らった。この大胆さには賛も恥じ入り、夜闇に乗じて姿を消してしまった。

 昂はその後もますます富み栄えていったが、戦乱の時代を迎えると盗賊の格好の標的となった。盗賊の要求通りに金品を差し出さなかった昂は、たるきに縛りつけられ、生きながら焼き殺された。

(唐『朝野僉載』)