楊政の姫妾


 

 宋の紹興年間(1131〜1162)の名将、楊政は威声赫々(いせいかくかく)とし、官位は太尉にまで昇りつめた。その性格は非常に残忍で、人を殺すことに喜びを感じていた。
 元旦に幕僚を集めて酒宴を催したことがあった。李叔永という人も宴の席に並んでいた。李叔永が厠(かわや)へ行こうと中座すると、兵士が灯りを手に案内してくれた。
 楊政の邸の奥は、壁に挟まれた路地が迷路のように曲がりくねってどこまでも続いており、案内がなければ迷って永遠に抜け出すことができないのではないかと思われた。李叔永が見るともなしに壁に目をやると、うっすらと人の影のようなものが浮かび上がって見えた。はじめは壁に画が描いてあるのかと思った。しかし、近寄ってよく見てみると筆の跡はなく、面体(めんてい)もはっきりせず、まるでしみのようであった。不思議な影は二、三十体ほど残されていた。
 李叔永は案内の兵士にこれは何かとたずねてみた。すると、兵士は辺りに人がいないのを確かめてから、小声でこう教えてくれた。
「楊閣下にはご寵愛の姫妾(きしょう)が数十人もあり、すべて抜群の技芸の持ち主です。しかし、閣下は激しいご気性の持ち主、少しでも気に入らないことがあれば容赦(ようしゃ)なく打ち殺し、その皮を剥いでしまわれます。剥いだ皮はこの壁に広げて釘で打ちつけ、乾いて固くなると、池や川にお捨てさせになります。これは皮を干した痕です」
 李叔永は慄然(りつぜん)として、早々にその場を立ち去った。

 楊政はその晩年に一人の姫妾を熱愛した。病床の楊政は一切の政務退け、この愛妾だけがそば近くに侍っていた。
 ある時、楊政は愛妾に向かって言った。
「ワシはもう長くはないな。ただ、お前だけが心残りだ。どうすればよいのじゃ」
 楊政の声はか細く、愛妾には言葉の半分しか聞こえていなかった。愛妾は泣きながらこう答えた。 
「殿様、このお薬を召し上がってくださいませ。きっとよくなりましょう。殿様に万一のことがあれば、私もあの世までお供いたしますから」
 楊政はこの言葉を聞くと大いに喜び、早速、酒を用意させて愛妾と固めの盃を交わした。
 愛妾は自室に下がってから改めて楊政とのやり取りを思い返した。そして、自分が口を滑らせたことに気付くと、にわかに恐ろしくなり、逃げ出す 仕度を始めた。
 一方、楊政の方は気息奄々(きそくえんえん)ながらも、まだこの世に未練があるらしく、かろうじて生き長らえていた。側近の大将は楊政が死に切れないでいるのを見て、こう言い聞かせた。
「閣下は日頃、人を殺しても顔色一つ変えず、まるで虫けらを潰すようでございました。それでこそ真の男です。それが、命が終わろうとしているこの期に及んでお妾一人に恋々としていらっしゃるとは。さあ、男ならいさぎよくなされませ」
 楊政の口がかすかに動いた。大将が耳を寄せると、楊政は愛妾の名を呼んでいるのである。
「お前が逝けば、ワシもすぐにまいろうぞ……」
「私がしかと取り計らいます」
 大将は楊政のお召しと偽って愛妾を呼んだ。あらかじめ、楊政の寝台の後ろには壮士に縄を持たせて待機させた。愛妾が楊政の枕もとへ来ると、壮士が寝台の後ろから飛び出した。そして、愛妾の首を絞めた。
 愛妾の骸(むくろ)が地に倒れたその時、楊政も絶命した。

(宋『夷堅志』)