玉象、金象


 

 の李徳裕(りとくゆう)は道教にこり、せっせと雄黄(ゆうおう、注:砒素の硫化物)を服用していた。
 ある時、一人の道士と出会った。道士は李終南と名乗り、羅浮(らふ)山に居を構えているとのことであった。李徳裕が日頃から雄黄を服用していることを話すと、道士は笑って言った。
「宰相殿が長らく服しておられるものは俗世の凡火(ぼんか)にすぎませぬ。寿命を少しばかり延ばすだけです」
 そして懐から玉で作った象を取り出した。拳(こぶし)くらいの大きさであった。
「雄黄は明るく透き通ったものを選び、この象の鼻の下でお焚きなされ。決して女人(にょにん)と鶏犬に見られてはなりませぬぞ。焚き続けて十五日たつと、この象は雄黄を自ら体内に取り込み、丹砂(たんしゃ)を吐き出します。それを服すればよろしい。これこそ火王、太陽の精髄で、三万年の長き時を要して凝結したものじゃ。これは宰相殿がひたすら道をお求めになっておられるので、お貸しいたしますのじゃ。常に忠孝を志し、色を慎まれれば、何の禍も起きませぬぞ」
 また、金の象を取り出した。
「これは雌で玉象と対になるものです。これがなければ、玉象はすぐにも飛び去ってしまいます」
 徳裕が道士の言葉に従って雄黄を焚いてみたところ、果たして玉象は丹砂を吐き出した。早速服用してみると、顔のしわが消え、白くなっていた髪も黒々と艶やかになった。体も軽やかで、すこぶる調子がよい。
 徳裕は失った若さを取り戻して歓喜した。若さの戻った今、彼が励み出したのは身辺に美女を集めることであった。その数は数百人にも上った。不思議なことに徳裕が美女を擁して二度目の春を謳歌するようになってから、玉象は丹砂を吐き出さなくなってしまった。
 徳裕はほどなくして失脚した。

 その後、徳裕は海南島へ左遷された。任地へ赴く途中、鬼門関(注:現広東省)であの道士と再会した。道士は怒りも露わに、二象の返還を求めてきた。
「私の言葉の通りにしないから、このようなことになったのじゃ」
 徳裕は象をしまい込み、道士に渡さなかった。
 船で鰐魚潭(がくぎょたん)に到着した時、突然、空が暗くなり、激しい風雨に見舞われた。玉象はその風に乗って船から飛び去ってしまった。玉象の放つ光が黒雲に覆われた天を輝かせた。金象の方は水中に没した。

 象を二つとも失った徳裕は朱崖(注:現海南島)に到着すると、そのまま憂悶のうちに亡くなった。

(宋『洛中紀異』)