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猪嘴道人(後編)


 

 る日、李のもとへ猪嘴道人がやって来た。
「君が何を願っているか、わかっているよ。さあ、ついて来たまえ」
 猪嘴道人が李を連れて行ったのは城外の古い社稷壇(しゃしょくだん)の荒れ廟であった。猪嘴道人は指くらいの大きさの小石をひとかけら拾い上げて言った。
「これで壁に線を引いてごらんなさい」
 李が言われた通り、壁に線を引いてみると、壁が扉のように開いた。中に入り、曲がりくねった回廊を行くと、目もあやな帳を張りめぐらした小部屋に出た。そこに女が一人寝ている。夢にまで恋い慕った越珍であった。
 李は驚喜して越珍をゆすぶり起こした。越珍は部屋に見知らぬ人がいるので驚いたが、相手が李だとわかると嬉しそうに言った。
「まあ、あなたでしたの」
 越珍の笑顔の美しさに、李は身も心もとろけそうになった。
「この昼日中に、こんな奥までどうやってお入りになられたのです?」
 李は猪嘴道人のことは話さず、ただ、
「あなたに会いたい一心で来ました。それはもう大変でした」
 とだけ答えておいた。越珍はいたく感動して、
「それほどまで私のことを思ってくださるなんて」
 と言って、その柔らかな体を委ねてきた。
 李は二晩を越珍のもとで過ごしてから、もと来た道をたどって壁の外へ出た。李が出た途端、壁はもとのようにふさがってしまった。
 猪嘴道人が待っていた。
「急いで戻って来たのですが、もう二時(ふたとき、注:四時間)ですか」
「何をそんなに急いでいる。てっきり戻るのを忘れたのかと思ったぞ。で、小石はあるか?」
「あ、忘れてきました」
 猪嘴道人は李に別の石を探させた。
「次に行く時にはこの石を使いたまえ」
 以来、李は不思議な石を使って越珍のもとへ通った。回を重ねるたびに情愛は深まっていった。

 一年が経とうとした頃、李は酔って、うっかりこのことを賈に話してしまった。賈は自分も連れて行け、と詰めよった。
 このことを知った猪嘴道人は李に言った。
「これで私と君の縁も尽きたな。君の軽はずみのおかげで、私もここに落ち着いていられなくなった。ここは餞別(せんべつ)代わりに一杯やらせてもらってからお別れしましょう」
 三人で庭の築山のふもとで酒を酌み交わすことにした。築山には大きな石が置いてあったのだが、猪嘴道人はその石に向かって叱咤(しった)した。
「開け!」
 すると石がぱっくりと開き、別天地が広がった。山水や楼閣があり、木々は美しい花をつけていた。桃や杏の花びらの舞い散る谷川を一艘の小舟が 下ってきた。小舟がそばまで近寄ると、猪嘴道人身を躍らせて乗り込んだ。その途端、小舟はあっという速さで流れ去った。賈が慌てて猪嘴道人の袖を引こうとしたが、その目の前で石が閉じてしまった。賈は指をはさまれて怪我をした。
 李は社稷壇の壁に小石で線を引いてみたが、壁は二度と開かなかった。
「あれは夢だったのかなあ」
 そう自分を慰めて小石を投げ捨てた。

 後に、李が陳朝議の邸へ出入りしている産婆に奥殿の様子をたずねてみると、彼が見たのとまったく同じであった。また、産婆の話によると、越珍はいつも夢の中で一人の男と親しくしていたが、最近はそういう夢を見なくなった、とのことであった。
 社稷壇と陳朝議の邸は数十里も離れていた。

(宋『投轄録』)

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