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重陽の約束(一)


 

 漢の明帝の御世(57〜75)のこと、汝州(じょしゅう、注:現河南省)は南城に一人の秀才がいた。張劭(ちょうしょう)、字を元伯といい、家は代々農業を営んでいたが、本人は富貴を願わず、学問をのみ志していた。年は三十五になっていたが、まだ独り身であった。六十近い老母があり、孟子(もうし)の母よろしく弟の張勤(ちょうきん)とともに田を耕し、機を織りして、劭の志を助けた。
 時に帝が広く賢者を求めるとのことを聞いた劭は老母に暇乞いをし、弟に後事を託し、洛陽目指して旅立った。洛陽まで一日足らずのところに来たところで日が暮れ、旅籠(はたご)に泊まることにした。
 部屋に案内されると、壁を隔てて何者か苦しげにうめく声が聞こえてくる。不審に思った劭は旅籠の小僧にたずねてみた。小僧の答えるには、
「旅の秀才ですが、流行り病でかなりお悪いようですよ」
 とのこと。劭、聞いて、
「同学ならば他人事ではない。これは様子を見にいかねば」
 と立ち上がろうとするのを、小僧は止めて、
「流行り病ですので、私どもといたしましては近づくこともいたしかねます。お客様もうっかり近づいて、万一のことがあっては大変ですよ」
 しかし、劭は笑って、
「死生に命ありというではないか。流行り病だからといって、必ずうつるものでなし。やはり見捨てておくことはできぬな」
 小僧の止めるのも聞かず戸を推して入ってみれば、土間では一人の秀才が呻吟(しんぎん)していた。病で肌は黄ばみ、やせ衰えて、声にならぬ声で助けを求めている。傍らには書物を入れた嚢(ふくろ)と衣冠が置いてあり、自分と目的を同じくする者と見受けられた。劭は枕元に跪(ひざまず)いて、
「心配なさることはありません。この張劭も志を同じくする者、必ずお救いいたします。薬を飲んで粥(かゆ)を食べれば、病などすぐに治りましょう。私がお世話をしますから、安心なさって下さい」
 と慰めた。かの人は涙を流して感謝した。
「ああ、ありがたや。病癒えたあかつきには、きっとご恩報じをいたしますから」
 その夜から劭は細やかな看護に努めた。医者を呼び、薬を飲ませ、朝晩手ずから粥を食べさせたのだが、その費用はすべて劭がまかなった。そのかいあって数日後には起き上がることができるようになった。

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