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重陽の約束(五)


 

 音で目覚めた母と弟が駆けつけると、誰もいない草堂に酒や料理が並べられている。劭はどこかと見れば階の下に昏倒していた。急いで助け起こして水を吹きかけたところ、ようやく気がついた。
 何が起きたのかたずねても息も詰まらせて泣きじゃくるばかりで一向に要領を得ない。母は言葉を激しくした。
「巨卿さんがいらっしゃらないのに、何をしているのです?お前はここまで聞き分けのない子だったのかえ?」
 問い詰められて、劭もようやく答えた。
「兄上は私との約束のために命を落とされました」
「そのようなこと、どうしてわかるのです?」
「たった今、兄上がおいでになられました。酒や料理を勧めても召し上がられないので、その理由をたずねると、ご商売に忙殺されて重陽の佳節すら忘れていたとのこと。気づいたのは今朝で、私との約束を守るために自ら首を刎ねて魂となって千里の道のりを越えてまいられました。母上、お願いでございます。私を山陽まで行かせて下さい。兄の弔いをさせて下さい」
 劭は母の膝に取りすがって泣いた。母は頭を撫でてやりながら、
「囚人(めしうど)は放免(ほうめん)を夢見、渇(かわ)ける人は湯水を夢見ると言うではありませぬか。お前もきっと巨卿さん会いたさにそういう夢を見たのですよ」
 と慰めると、劭は首を振って、
「夢ではありません。すべてこの目で見ました。酒も料理もすべて私が並べたものです。兄上に追いつけず、私は倒れてしまいました。巨卿兄上は信義の士です。その魂が偽りなど告げようはずがありません」
 と言うと、声を放って泣き出した。弟が言った。
「なら兄さん、山陽へ行く人に頼んでことの真偽を調べてもらえばいいのでは?」
「そういうわけにはいかないのだ。巨卿兄上が命を絶たれたのは私への信義のためだ。私が山陽に行ってこの手で巨卿兄上を弔わなくてどうする?お前はくれぐれも本分に励んで、私の分も母上に孝養を尽くしておくれ。頼んだぞ」
 そして、母に向かって別れを告げた。
「母上、親不孝をお許し下さい。劭は国に忠義を尽くすこともできず、家においては孝養を尽くすこともできず、いたずらに天地の間に生を享けただけでございました。これより信義のために死んだ義兄巨卿の弔いに赴き、我が信義を全ういたします。母上は御身を大切になさって下さいませ」
「山陽は千里の彼方と言っても、一ヶ月もあれば往復できるでしょう。どうして今生の別れのようなことを言うのです?」
 と母が言うと、劭は、
「人の生は水面(みなも)の泡の如しと申します。生き死には定めがたいものです」
 と言って慟哭(どうこく)した。見かねた弟が、
「私も同行しますから」
 と申し出ると、
「お前がいなくなったら、誰が母上にお仕えするというのだ」
 劭は厳しい表情で叱責(しっせき)した。

 翌朝、劭は涙をふるって旅立った。餓えも寒さもいとわず、眠れば夢に泣いた。己に翼のないのをもどかしく思いながら、ひたすら山陽への道を急いだ。十数日を経て、ようやく山陽に到着した。
 巨卿の家をたずねてみれば、鍵がかけられ無人である。隣家に問うと、
「巨卿さんが亡くなられて、二七(注:死後十四日のこと)が過ぎましてね、ご家族が埋葬に行ってらっしゃいますよ。もう戻ってもいいはずなのですが」
 とのこと。劭がその場所を教えてもらって駆けつけると、新しい土饅頭の前に人だかりができているのが見えた。集まった人々は一様に驚愕(きょうがく)の表情を浮かべている。その前では喪服をまとった婦人と十七、八歳の少年が柩(ひつぎ)に伏せて泣いていた。

 

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