一生分の羊


 

 中元年(847)、李徳裕は失脚して宰相の任を解かれ、太子少保として洛陽に押し込められた。自分の将来に不安を抱いた李徳裕は老僧を召し出して禍福をたずねた。
 老僧は言った。
「すぐには無理でございます。祭壇を構え、仏像を安置させて下さい」
 李徳裕が言われた通りに用意すると、老僧は祭壇で三日間祈祷を行った。
 老僧は言った。
「閣下の禍(わざわい)はまだ終わっておりません。万里の彼方、南へ赴かれることになっております」
 この答えに李徳裕は激怒した。
「でたらめを言うな!」
 叱咤して追い払った。

 翌日、再び老僧を召し出してたずねた。
「昨日の答えでは詳しいことがわからぬ。もう少し具体的な答えが欲しいのだが」
 またもや老僧は祭壇を構え、三日間祈祷を行った。
「閣下は一月も経たないうちに南へ赴かれることになるでしょう。逃れるすべはございません」
 李徳裕はますます不機嫌になり、こう言った。
「師父(しふ)は己の言葉が嘘ではないと、証明できるのか?」
「ならば、今すぐここで拙僧が嘘偽りを申していないことを証明いたしましょう」
 老僧はそう言って地面を指差した。
「この下に石函(せきかん)がございます。掘ってごらんなさい」
 そこで人を呼んで地面を数尺ほど掘らせると、果たして石函が出てきた。石函を開いたが、中には何も入っていなかった。
 これにはさすがの李徳裕も老僧の言葉を信じるようになった。
「南へ行くことは本当に免れぬことなのか?戻ることはできぬだろうか?」
 老僧は答えた。
「おそらく戻ることはできましょう」
「まことか?まことに戻れるのか?」
 なおも問いただすと、老僧はこう答えた。
「閣下は一生に羊を一万匹召し上がることになっておられます。今までに九千五百匹召し上がられましたので、あと五百匹残っております」
 この答えに李徳裕は深くため息をついて肩を落とした。
「師父は大したお方だ。実は元和(げんな)十三年(818)に、時の宰相張殿に従い、山西の太原に滞在した折、晋山へ登る夢を見た。晋山の上には白い羊がたくさんいて、羊飼い十数人が私を出迎えてくれた。私が、
『この羊は何か?』
 とたずねると、羊飼いは、
『これは閣下が一生の間に召し上がられる羊でございます』
 と答えたのだ。私はこの夢のことを誰にも話しておらぬ。今、師父が羊のことを言われたので、すべては運命だということがわかった」

 十日後、節度使の米曁(べいき)が李徳裕に書を遣わし、五百匹の羊もあわせて贈ってきた。李徳裕は仰天し、老僧を召し出してこのことを告げた。老僧は嘆きの色を隠さなかった。
「羊の数が満ちましたからには、戻ることできますまい」
 李徳裕は言った。
「いや、しかし、私がこの羊を食べさえしなければ大丈夫なのでは?」
 老僧は首を横に振った。
「羊がここに来たからには、閣下のものなのです」
 李徳裕は命数が尽きたことを知り、絶望した。

 その十日後、李徳裕は潮州(現広東省)司馬に左遷され、翌年九月には崖州(現海南省)司戸に左遷された。そして、都に呼び戻されることなく辺境に死んだ。

(唐『宣室志』)