帰って来た娘


 

 州(がくしゅう、現湖北省)南市の茶店に彭先(ほうせん)という奉公人がいた。しがない奉公人であったが、色白ですらりとした美男子であった。
 茶店の向かいには呉という金持ちが住んでおり、その娘がいつも簾越しに彭先の姿をうかがい見ては恋い慕っていた。思いを募らせたあまり、娘はとうとう胸の病を患う身となった。
 娘を不憫に思った母はこっそりたずねた。
「お前、何か悩み事でもあるのじゃないかえ?言ってごらん、少しは気が楽になるかもしれないから。もしかしたら父さんに頼んで何とかしてもらえるかもしれないし」
 しかし、娘は首を振って、
「あるにはあるけれど……でも、お父様やお母様に恥をかかせちゃいけないもの。言えないわ」
 と言おうとしない。それをなだめたりすかしたりして、ようやく茶店の彭先のことを聞き出した。
「茶店の奉公人に惚れただと?」
 母からこのことを聞いた父は声を荒げた。
「ダメだ、ダメだ、釣り合いがとれんわい。ご近所に知れたら、それこそ物笑いの種だぞ」
 と言って、一向に取り合おうとしない。
 そうこうするうちに娘の病はどんどん重くなっていった。この頃になると、身内でも娘の病の原因を知る者も現れ、たびたび父を説得した。父も娘の病状を見かね、彭先を呼んで娘のことを話した。
「人助けだと思って婿になってはくれまいか」
 この時、すでに彭先は縁談が整った後であった。彼には娘の行状がはしたなく思われたので、この申し出をきっぱりと断った。娘は悲しみの中で亡くなった。
 南市から百里離れたところに呉家の墓所があり、娘の亡骸(なきがら)はそこに埋葬されることになった。葬儀は華麗をきわめ、見るものを感嘆させた。
 大勢の野次馬が集まったのだが、その中に山の麓に住む若い木こりも混じっていた。彼は豊かで立派な副葬品を見ると、墓を暴くことを思いつい た。人々が引き上げるのを待って、木こりは墓を暴いて棺(ひつぎ)を開いた。そして、娘の亡骸を抱え上げて衣を剥ぎにかかった。娘の体はまだ温かく、柔らかかった。突然、固く閉じられていた娘の目がパッチリと見開かれた。
「彭様…」
 木こりは腰も抜かさんばかりに仰天した。娘は木こりの姿を見ると、軽い失望の色を浮かべた。娘は恐れおののく木こりに向かって言った。
「あなたのおかげで私は生き返ることができたわ。どうか危害を加えないで。日が暮れたら私をあなたのお宅に連れて帰って休ませてちょうだい。もしそうしてくれるなら、私、あなたの奥さんになってあげる」
「オレの女房になってくれるのか?」
「ええ、なるわ」
 木こりは墓穴を丁寧に埋め直すと、娘を連れて帰った。
 娘は約束通り木こりの妻となった。木綿の衣にわらぐつという粗末な身なりで、誰もそれが呉家の娘だとは思わなかった。娘は体こそ木こりの妻と なったが、心では彭先のことを思い続けた。

 乾道五年(1169)の春のことであった。娘は突然、夫である木こりに向かってこのようなことを言い出した。
「家を離れてもうかなりになるわ。ねえ、舟を雇って南の市に行ってみましょうよ。私が生き返ったことを知ったら、両親もきっと喜ぶわ。もちろん細かいことなんて詮索しないだろうし、あなたを婿として迎えてくれるはずよ」
 木こりは舟を雇い、娘とともに南市へ向かった。娘はまず茶店へ行き、二階へ上がった。ほかの客はいなかった。そこへちょうど彭先が土瓶を提げて上がってきた。
 娘は木こりに、
「下でお酒を買ってきてちょうだい」
 と言って階下へ行かせると、彭先を卓に呼び寄せた。何も知らない彭先は勧められるままに席に着いた。娘はその手を握りしめた。
「彭様、私、あなたに会いたくてこうして戻ってまいりましたのよ。一度でいいから、私を抱いてちょうだい」
 彭先は呉家の娘がすでに亡くなったことを知っていたので、てっきり亡霊が現れたと思った。娘の頬を殴りつけて罵った。
「ええい、血迷ったか!亡霊のくせに白昼堂々現れるとは」
 そして、手を振りほどいて立ち上がった。
「彭様、彭様、私は亡霊じゃないわ。生き返ったのよ。お願い、信じて」
 娘は泣きながら彭先に取りすがった。
「離せ、亡霊!」
 彭先はすがりついてくる娘を力まかせに突き飛ばした。よろめいた先には階段があった。娘は階段を踏みはずし、もんどりうって転げ落ちた。そして、階下に倒れたまま二度と動かなかった。
「オレの女房を殺したな」
 酒を買って戻って来た木こりは、彭先を捕らえて番屋に突き出した。向かいの呉家でも騒動を聞きつけて駆けつけてきた。すると、埋葬したはずの娘が死んでいるではないか。夫婦、その亡骸を抱きかかえて泣き叫んだ。
 あまりにも奇妙な事件なので、彭先と木こりの身柄を府の役所へ送って取り調べることにした。あわせて娘の墓を確認したことろ、棺が空になっている。そこで、木こりを厳しく尋問すると、墓を暴いたことを自白した。

 木こりは墓を暴いた罪で死刑となり、彭先は死刑を免れた。

(宋『夷堅志』)