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怪異


 

 南(現河南省)の李叔堅(りしゅくけん)がまだ若く、地方の下役人に過ぎなかった時のことである。
 その家で突然、犬が人のように二本足で立って歩くという怪異が起こった。
「不吉な。殺してしまえ」
 家人が驚き恐れてそう言う中、叔堅だけが、
「犬や馬は動物の中の君子にたとえられるではないか。この犬は人の真似をしているだけだよ。殺すことはないさ」
 と、のんびり構えていた。
 それからしばらくして叔堅が腰掛けに冠を置いたところ、例の犬が冠を頭に載せて走り出した。家人は恐れおののいた。
「不吉な。やっぱり殺してしまおう」
 叔堅は、
「きっと頭があたって、冠の紐が引っかかっただけだろう」
 と取り合わない。
 その後、例の犬が竈(かまど)に向かって火を起こしているところが目撃された。
「すぐにも殺してしまえ」
 震え上がってそう主張する家人を、叔堅は相変わらずのんびりした口調で諌(いさ)めた。
「家中が田んぼで忙しく立ち働いているのを見て、犬も何か手伝わなくてはと思って火を起こしてくれたのだろう。ご近所に迷惑をかけないですんだのだからよいではないか」
 ほどなくして近所中に叔堅の家には化け物犬がいるという噂が立った。
 数日後、犬はぽっくり死んでしまった。その後は何の怪異も起こらなかった。
 叔堅は後に桂陽(現湖南省)の太守となった。

 そもそも怪異だ、何だと驚き騒ぐのは小人である。彼らは理性に欠けるので、何でもすぐに信じやすく、ことさら大げさに騒ぐのである。結局、彼らが恐れるのは自身で生み出した妄想である。時として、その妄想に滅ぶ者もある。
 叔堅の場合、その心は金石のように堅く、怪異を見ても恐れなかったため、かえって福を得たのである。

(漢『風俗通義』)