髢と口笛
江南の内臣、朱廷禹(しゅていう)から聞いた話である。
身内の者が海で大風に遭い、何度も船が覆りそうになった。船頭が言った。
「きっと海神の欲しいものが船にあるのでしょう。積荷を捨ててみてはいかがでしょう?」
そこで、船の積荷を片端から海へ投げ込んでみた。積荷のほとんどを捨てた頃、一艘の小舟が近づいてきた。小舟には黄衣の女と、四人の青衣の漕ぎ手が乗っていた。近づくにつれて、女が類まれな美貌の主であることがわかった。同時に四人の漕ぎ手が紅い髪をふり乱し、猪のような牙をむき出しにした、世にも恐ろしい形相をしていることも知った。
皆が恐れおののいているところへ、女が乗り込んで来た。
「この船にはよい髢(かもじ)があるそうじゃないの。ちょいと見せてもらおうか」
こちらはすっかりおじけづいているから髢と言われてもすぐには思い出せない。
「積荷はすべて捨ててしまいました」
そう答えると、女は頭(かぶり)を振った。
「そんなはずないさ。船の後ろの壁際にかけてある箱の中を見てごらん」
言われるままに探してみると、髢の入った箱が見つかった。女は箱の中からいくつか髢を選び取った。船にはほかに乾し肉も積んであった。女は乾し肉を取ると、漕ぎ手に食べさせた。乾し肉をつかんだ漕ぎ手の手は鳥の爪のようであった。
女はやがて髢を手に小舟へ戻ると、船から離れた。やがて小舟は波間に見えなくなった。
激しかった波も風も鎮まり、船はつつがなく目的地に到着した。
これも朱廷禹から聞いた話である。
身内の者が十歳の子供を連れて、船で江西から広陵(現江蘇省)へ向かう途中、馬当(現江西省)に停泊した。子供を置いて上陸し、夜になってから船に戻ると、子供の姿が見えない。慌てて方々を探して林の中で見つけたのだが、子供はすっかり呆けたようになっていた。
翌日になって、ようやく話すことができるようになった。
「誰かに呼ばれて、こんなことを教えてもらったよ」
子供はそう言って指を口に当てると、口笛を吹いた。その口笛に応じて、数十、数百もの山鳥が集まってきた。いずれも鮮やかな羽毛をしており、見たことのないものばかりである。
旅を続ける途中、子供は何かに憑かれたようにしばしば口笛を吹いた。すると、決まって山鳥が集まってきた。
白沙(現江西省)に着いてからは、山鳥は飛んでこなくなった。そこで、医者や巫人を招いて治療を続けたところ、子供は口笛を吹かなくなっ た。(宋『稽神録』)