漢陽の石榴


 

 興年間(1131)の初めのことである。
 漢陽軍(現湖北省)に一人の寡婦がいた。早くに夫に先立たれ、残された姑に実の子にも劣らぬ孝養を尽くしていた。突然、姑が病でもないのに亡くなり、日頃から不仲な隣家は寡婦が毒を盛ったに違いない、と訴え出た。寡婦は厳しい取り調べに耐え切れず罪を認め、死刑に処せられることになった。
 処刑の当日、寡婦は獄から引き出された。看守が石榴(ざくろ)を一枝折り取って、寡婦の髪に挿してやった。寡婦は刑場に着くと、死刑執行人に 言った。
「髪に挿した石榴の枝をそこの敷石の間に挿して下さい」
 死刑執行人が言われた通りにすると、寡婦は叫んだ。
「私は姑を殺していない!天よ、私の言うことが正しければ、この枝を芽吹かせ、木にならしめよ。本当に罪を犯したのなら、すぐに枯れるがよい」
 聞く人は皆、寡婦に同情して涙を落とした。寡婦は刑場の露と消えた。
 翌日、石榴の枝が芽吹き、やがて三尺(当時の一尺は約30センチ)あまりの木となった。

 石榴は今でも毎年、実を結ぶという。

(宋『夷堅志』)