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柏の林で遭ったもの


 

 の開成年間(836〜840)のことである。
 盧涵(ろかん)という読書人がいた。家は洛陽にあったが、万安山(現山西省)の北にも荘園を所有していた。
 ある夏の日、小馬に跨り、荘園の様子を見に行くことにした。荘園まであと十里あまりというところに、柏(このてがしわ)の林があった。ふと見ると、その入り口に新しく家が建っている。なかなかこざっぱりとしたしつらえで、旅人相手の店と思われた。そろそろ日も暮れそうだったので、盧涵はここで休むことにした。
 店には髪を鬟(みずら)に結った娘がいた。まだ少女といってもよい年頃なのだが、これがたいそう色っぽい。盧涵がここで何をしているのかと問うと、
「耿(こう)将軍の墓守をしております。今日は父も兄も家にはおりません」
 とのこと。盧涵は娘の美貌に心を奪われ、二言三言軽口をたたいてみたところ、娘は嫌がる風もなくさらりと受け流す。盧涵はますます好もしく思った。
「我が家には結構なお酒がございますのよ。どうぞ上がっていって下さいな」
 娘がそう勧めるので、盧涵は喜んでその言葉に従った。娘は奥から銅でできた古い酒だるを持ってきた。盧涵は娘の酌で飲んだのだが、なかなかに美味い。
「お耳汚しに」
 そう言って娘は歌い始めた。

  たった一人で戸口を守る
  帳には人もなく、燈火の影が残るだけ
  薄絹の衣も今は朽ち果てて
  春風が吹いても、ここはまだ寒いわね

 盧涵には歌の意味はわからなかったが、何やら陰気に感じられた。気がつけば酒がなくなっていた。
「お酒を汲んでまいりますわ」
 娘は酒だるを手に奥へ入っていった。盧涵は不吉な予感がしたので、足音を忍ばせてその後をつけた。
 見れば、天井から大きな黒い蛇が吊るされている。娘がその腹に刀を突き刺すと、血が酒だるに滴り落ちて酒に変わった。
 盧涵は腰を抜かさんばかりに仰天した。ほうほうの体でその場を抜け出すと、小馬に鞭をくれ、一目散に荘園を目指した。
 背後から娘の叫ぶ声が聞こえた。
「若様、どこへおいでです?今宵は若様にここへ泊まっていただくつもりですのよ。お戻り下さいませ」
 盧涵は後ろも振り返らず、狂ったように小馬に鞭をくれた。  娘は盧涵を引き留めることができないことを知ると、
「東の方大よ、若様を捕まえておくれ」
 と呼ばわった。すると、
「おう!」
 と、林の中から男が返事をした。盧涵が振り返ると、大きな枯れ木のようなものが後を追ってくる。しかし、その足取りは鈍重で、盧涵にみるみる百歩あまりも引き離した。
 そのまま馬を走らせて別の小さな柏の林へ飛び込むと、木陰の向こうから巨大な白い物が近づいてくるのが見えた。
「今晩中にそいつを捕まえなければ、お前さんが明日、ひどい目に遭うぞう」
 誰かがそう叫ぶ声が聞こえた。
 盧涵は恐怖に駆られて小馬を走らせた。目指す荘園の入り口にたどり着いた時には、三更(夜十二時頃)を過ぎていた。門はすでに閉ざされ、人影はなかった。空の車が数台止めてあり、その傍らでは羊の群がのんびりと草を食んでいた。
 盧涵は小馬から転がるように下りると、車の下に身を隠した。そこへ盧涵の後を追って、枯れ木のようなものがのっそりと姿を現した。それは矛(ほこ)を手にした大男であった。
 大男は荘園の塀に近づくと、中をのぞき込んだ。塀はかなりの高さがあったのだが、大男の腰辺りまでしかなかった。大男はしばらく荘園の中を見回していたが、やがて矛を一軒の家に突き刺した。矛を引き抜くと、その先には子供が突き刺さっていた。子供は声もなく、手足をばたつかせていた。大男は矛を引っさげて引き返して行った。
 盧涵は大男が十分遠くに行くのを待って、車の下から抜け出した。門に飛びつくと、大声で呼ばわった。
「開けてくれ、オレだ、開けてくれ!」
 門を開けた小作人は、盧涵がこんな遅い時間に到着したことを驚いたが、彼はすっかり震え上がっていたので、その理由を話さなかった。

 翌朝、荘園に泣き声が響き渡った。やがて、小作人の一人が泣きながら盧涵のもとへ現れた。
「三歳になる子供が昨夜は元気だったのに、朝になったら冷たくなっておりました」
 盧涵は昨夜のことと何か関係があると思ったので、早速、屈強な下僕と小作人を十数人集めると、各人に刀や斧、弓矢を持たせて柏の林へ向かった。
 昨日、酒を飲んだ店はもぬけの殻であった。林に分け入ると、死者に供える人形が転がっていた。大きさは二尺ばかりで、昨日の娘とそっくりであった。そのそばには黒い蛇が腹を裂かれて死んでいた。
 東側の林に行ってみると、葬儀の時に使う方相(ほうそう)の面があった。すでに朽ち果て、骨組みしか残っていなかった。盧涵は人形と面を打ち砕いて焼き捨てた。
 さらに昨日の足取りをたどって小さな柏の林を調べてみると、一体の白骨を見つけた。手足が完全に繋がった状態で、少しも欠けていなかった。斧で打ち砕こうとしてもびくともしないので、穴を掘って埋めた。

 盧涵には中風の気があったのだが、蛇の酒を飲んだおかげですっかり治っていた。

(唐『伝奇』)