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真珠姫(前編)


 

 和六年(1124)のことである。
 元宵節(げんしょうせつ、旧暦の正月十五日)になると、都では宮城の正門である宣徳門に燈篭(とうろう)で飾り立てた山車(だし)を出す。見物人は早い時刻から門外に詰めかけ、燈篭に火がともされるのを今か今かと待ち受ける。貴顕の家々は宣徳門の両側に桟敷席(さじきせき)をしつらえて見物することにしていた。

 さる宮家も門の東側に桟敷席をしつらえていた。宮家には真珠という姫君がおり、人々は真珠姫と呼んでいた。年は十七、その名のとおり珠玉のような美少女であった。真珠姫もあでやかに装って桟敷席で家族とともに見物を楽しんでいた。
 母方の一族が門の西側に桟敷席をしつらえていたが、ここから真珠姫を招きに腰元を遣わして来た。
「こちらでご一緒に燈篭をごらんになりませんか。いらっしゃるなら轎を迎えによこします」
 真珠姫は母方の従姉妹達に会いたいと思っていたので、母にせがんだ。
「ねえ、お母様、行かせて下さいな」
 腰元に行く旨を伝えて帰すと、ほどなくして門の西側から轎が迎えに来た。真珠姫はいそいそと轎に乗り込み出かけていった。
 そのすぐ後に先ほどの腰元が轎をともなってやって来た。
「姫様はもうお出かけになりました」
 腰元は不審な顔をした。
「私がお迎えを命じられたのです。ほかに誰が迎えに来たと言うのです?」
 この時、はじめて前の轎がニセものであったことに気づいた。西側の桟敷席はもちろん、心当たりをたずねてみても、どこにも真珠姫の姿はなかった。
 通報を受けた開封府は早速、大規模な捜索を開始した。宮家の方でも二百万の賞金を出して広く情報を求めたが、何の手がかりも得られない。真珠姫の行方は杳(よう)として知れず、まるでこの世から消え失せてしまったかに思われた。

 翌年の三月、郊外へ花見に出かけた人が野原に放置された破れ轎を見つけた。中では娘が一人、髪をおどろに乱して泣きじゃくっていた。何と一年以上も前に行方知れずとなっていた真珠姫であった。
「生きてお会いできるとは思いませんでした」
 真珠姫は両親に取りすがって泣いた。しばらく泣いた後、失踪してからのことをポツリポツリと語り出した。

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