真珠姫(後編)


 

 は真珠姫を乗せて飛ぶように走った。まだ早い時刻なのに、何をこんなに急ぐのか不思議に思った。人々の喧騒(けんそう)が遠ざかっていくのも妙である。そのうち、轎は狭い小道へと入っていった。轎の中からもどんどん暗い方へ進んでいるのがわかり、真珠姫は不安になった。
 その時、突然、轎が止まった。出迎えがないので、真珠姫は自分で轎から下りた。そこは荒れ果てた古い廟であった。
「我が廟宇をおかすのは何者じゃ!」
 廟内に叱咤(しった)する声がとどろいた。見れば、幅一尺あまりの顔に針のような鬚を生やした恐ろしげな人物が、肩をそびやかして坐っている。ギラギラと光る目はまるでたいまつのようである。その両側には十人あまりの鬼卒が棍棒を手に従っていた。
 真珠姫は恐ろしさのあまりひれ伏して泣き出した。
「何者じゃ!我が廟宇と知っての狼藉(ろうぜき)か!!」
 鬼卒は真珠姫に襲いかかって衣服をはぎ取ると、棍棒で殴りつけた。真珠姫は恐怖と痛みで失神してしまった。
 しばらくして目が覚めると、密室に寝かされていた。老婆が傷の手当てと身の回りの世話をしてくれた。一月ほどで傷が癒え、起き上がることができるようになると、先の恐ろしげな男と鬼卒たちに手込めにされた。それから、人買いの手で金持ちの家へ妾として売り飛ばされた。
 主人は真珠姫の美貌を喜び、深く寵愛した。これは転落の運命にさらされた真珠姫にとって一つの救いとなったが、ほかの妾たちの嫉妬を招いた。
 ある日、妾たちと入浴した真珠姫は体に残る傷跡を見られてしまった。妾たちはここぞとばかりに主人に吹き込んだ。
「あれは身持ちが悪くて打たれた傷ですよ」
 真珠姫は主人に傷跡の理由を問われて、自分が宮家の姫君でさらわれて売り飛ばされたことを打ち明けた。主人は愕然(がくぜん)とした。
「皇族の姫君を妾にしていたことが知られたら厳罰だ」
 早速、人買いを呼んで真珠姫を連れ帰らせることにしたが、今までの寵愛に免じて代金の返還は請求しなかった。人買いの方でもすでに十分もうけたし、ことが露見することを恐れてよそへ売るのをやめた。そこで真珠姫を破れ轎に乗せて、夜中に野原に放置したのであった。

 以上が真珠姫の語った話である。
 当時、人さらいの一団が良家の子女をかどわかす事件が続出していた。おそらく廟にいた恐ろしげな人物も鬼卒たちもこれであったのであろう。

(宋『夷堅志』)

 

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