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脛 の 骨


 

 公(蔡京のこと)は崇寧年間(1102〜1106)末にはもっぱら自邸で政務を執っていた。
 当時、魯公は西の閶闔(しょうこう)門外に邸宅を賜っていた。閶門は俗に梁門とも呼ばれていた。修築の際、往々にして唐代の古 い塚を掘り当てることがあった。いくつか墓誌も出てきたが、それには、
「城西二里に葬る」
 と書いてあった。
 開封(かいほう、現河南省)は唐代の宣武軍に属していた。そのため唐代の古い塚が多いのである。
 梁門外に知人が墓所を営んでいた。掘ると、よく女の脛の骨が出た。その骨は今の背の高い男のものよりも数寸(当時の一寸は約3センチ)長い。
 ある人がこう教えてくれた。
「陝西と山西の間の長平は秦の白起将軍が趙の兵卒を生き埋めにしたところだが、まだ骨が残っている。そこでいくつか脛の骨を見たことがあるが、とても長かった。隋唐のものとも違っていた」

 どうやら人はだんだん小さくなっているようだ。

(宋『鉄囲山叢談』)