銭 占 い


 

 方の習俗では鬼神を尊ぶ。
 狄青(てきせい)が儂智高(のうちこう)を征伐した時のことである。大軍を率いて桂林の南に出ると、路傍に大きな廟があった。地元の人々の間ではすこぶる霊験があると伝えられていた。
 狄青は全軍に停止を命じると、廟に戦勝祈願をした。
「このたびの戦はどうなるかわかりません」
 そこで、銭を百枚つかむと、
「もしも大勝利ならば、この銭がすべて表になりますように」
 と言って投げようとした。
「全軍が見ているのですよ。一枚でも裏が出たらどうするのです。士気に関わります」
 と側近が諌めるのもきかず、狄青は銭を地面にばらまいた。
 百枚の銭は一枚残らず表が出た。全軍は歓呼し、その声は林野に轟(とどろ)いた。狄青もともに歓声を上げた。そして、側近に命じて銭をすべて釘で地面に固定し、その上から青い紗の籠で覆わせた。狄青は手ずから籠に封印をして言った。
「凱旋の暁には、神にお礼参りをしよう。その時、この銭を取ることにする」

 その後、狄青の率いる大軍は崑崙関を撃破し、儂智高を破り、邕管(ようかん)を平定した。
 狄青は全軍を率いて帰還する途中、くだんの廟で約束どおり銭を取った。全軍が見守る中、狄青は籠の封印を解き、釘を抜いた。
 百枚の銭はすべて両面が表になっていた。

(宋『鉄囲山叢談』)