男 寵
恵帝の御世(みよ)、洛陽に両性具有者が現れた。男女どちらとも媾合(こうごう)することができ、非常に淫乱であった。おそらく気が乱れたために生まれたものと思われる。 咸寧(かんねい、275〜280)、太康(280〜289)年間以降、男寵(だんちょう)が盛んになり、女色よりも好まれた。士大夫はこぞって男寵にふけり、天下の人は皆、この風潮を真似した。男寵が原因で離婚する者まで現れ、独り身の男女が増えた。 このように男女の気が乱れたために、妖しい者が生まれたのであろう。 (唐『晋書』)
恵帝の御世(みよ)、洛陽に両性具有者が現れた。男女どちらとも媾合(こうごう)することができ、非常に淫乱であった。おそらく気が乱れたために生まれたものと思われる。 咸寧(かんねい、275〜280)、太康(280〜289)年間以降、男寵(だんちょう)が盛んになり、女色よりも好まれた。士大夫はこぞって男寵にふけり、天下の人は皆、この風潮を真似した。男寵が原因で離婚する者まで現れ、独り身の男女が増えた。 このように男女の気が乱れたために、妖しい者が生まれたのであろう。
(唐『晋書』)