顔 真 卿


 

 真卿(がんしんけい)に李希烈(りきれつ)招諭の命が下った。これは至難な使命で、顔真卿の死を意味することを知っていた。

 親族や知人が集まって、長楽坡(ちょうらくは)で送別の宴を開いた。顔真卿は時に七十を幾つか過ぎていたが、酔いにまかせて跳躍(ちょうやく)して柱を撫した。

「若い頃、ワシは陶八八(とうはちはち)という道士と出会い、碧霞丹(とうけいへきかたん)を一さじ飲ませてもらった。おかげで、今でもこれだけ元気なのだ。その時、『七十で見舞われる禍は吉だ。後日、羅浮山(らふさん、現広東省)で我を待て』とも言われた。おそらく、こたびのことを言っているのであろう」

 顔真卿が大梁(たいりょう、現河南省開封)に至ると、李希烈の命令で縊(くび)り殺され、その亡骸(なきがら)は城の南に葬られた。

 李希烈が敗れると、家人が亡骸を引き取った。柩を開いてみれば、その顔立ちはまるで生きているようで、全身が金色に輝いていた。また、爪も伸び、鬚(ひげ)も数尺もの長さになっていた。家人はあらためて偃師(えんし、現河南省洛陽の東)の北山に葬った。


 後にある商人が羅浮山を通りかかった。見れば、二人の道士が木の下で碁を囲んでいる。何の気なしに見ていると、一人が商人に声をかけた。

「どちらからおいでだ?」

「洛陽からまいりました」

 くだんの道士は笑って言った。

「それはちょうどよかった。我が家への文をことづかってはくれまいか」

 そして、童子を呼んで紙と筆を持ってこさせ、文をしたためた。

「お手を煩わせるが、これを北山の顔家まで届けていただきたい」

 商人が文を届けた。顔家の人々は文を見るなり驚いた。

「これは先太師(顔真卿のこと)の手跡(しゅせき)だ!」

 塚を掘り返して柩を開いてみれば、中は空っぽであった。羅浮山へ様子を見に行かせたが、顔真卿の消息は何も得られなかった。

(宋『洛中紀異』)