火 災
乾隆年間(1736〜1795)末、定王が一時的に金吾の職を代行し、都の警備に当たったことがあった。
正陽門外で火災が起こり、火の勢いは衰えず民家に延焼しているとの報告が上がった。
「よし、出動!」
定王は張り切って火災現場へ駆けつけた。ちょうど娼家から焼け出された娼婦達が横丁の入り口にたむろしている所を通りかかった。
定王、もちろん娼家というものがこの世にあることなど知らない。紅おしろいを塗りたくった娼妓達が十数人集まっているのを見ると、不思議そうな顔をした。
「この家は女子(おなご)衆がたくさんおるなあ。どうしてだろう?」
これを聞いて笑わない者はなかった。(清『嘯亭雑録』)