奇 遇


 

 州(たんしゅう、現湖南省)湘陰(しょういん)県に李屠(りと)という男がいた。家は裕福で数百畝(ぽ)の田を所有していた。妻は女ながら学があり、自ら息子の応龍(おうりゅう)に学問を教えていた。李屠は応龍にいつもつらく当たった。応龍が、

「僕は父さんの実の子でしょう? それなのに、どうしてつらくあたるのでしょう」

 と言うと、母は悲しそうな顔をするばかりで何も答えなかった。

 母の教育の甲斐あって、応龍は十七歳で地方の試験に合格した。翌年、都で試験を受けることになったのだが、李屠は旅費を出さなかった。母がへそくりから旅費を用立ててくれたので、応龍はようやく出発することができた。

 家を離れて三日後、応龍はある村を通りかかった。夕暮れが近かったが、一軒の旅籠(はたご)も見つからなかった。応龍が民家に宿を求めようと横道に入ったところ、立派な邸(やしき)の前に出た。応龍が門を叩くと、門番が二人現われた。応龍が誰の邸かとたずねると、鄭通判(ていつうはん)の邸だとのことであった。

 応龍は旅の目的を話して一夜の宿を乞うと、

「だめだ、だめだ、泊めることなどできない。よそをあたれ」

 と退けられた。そこを何とか、と何度も頼んでいると、年かさの方の門番が、

「日もすでに暮れておる。よそで宿を探せという方が無理なことじゃ。大奥様にきいてみよう。それまでワシらの部屋で待っていなされ」

 と言って、奥へ入って行った。しばらくして、くだんの門番が戻ってきた。

「大奥様に申し上げたところ、試験を控えている方ならば書斎にお泊まりいただくようにとのおおせじゃ」

 感謝の言葉を述べる応龍を、門番が促した。

「大奥様がお食事の用意をしてお待ちですぞ」

「泊めていただくだけで十分ですのに、その上、お食事までいただいては……」

 と、応龍もいったんは辞退したが、是非にと言われてもてなしを受けることにした。

 大奥様は応龍の姿を見るなり、驚きの表情を浮かべた。大奥様は応龍に名前や年齢、家族のことを詳しくたずねた。応龍が答えると、

「やはり他人の空似かしらねえ」

 とつぶやいて首を振った。応龍が食事をする間中、大奥様はその姿をじっと見つめていた。時折、

「まさか、そんなことがあるなんて……」

 とつぶやく声が応龍にも聞こえたのだが、彼にはさっぱりわけがわからなかった。

 応龍の出立に際して大奥様は一銭貫の餞別(せんべつ)を贈り、こう言った。

「帰りにも是非うちへお寄りなさい、待ってますよ」

 大奥様からの餞別のおかげで、旅はすこぶる順調であった。応龍は都での試験に見事合格し、[シ豊]州(れいしゅう)の教授職を授けられた。潭州へ戻る途中、鄭通判の邸へ寄ったところ、大奥様はたいそう喜んで数日間にわたってもてなした。

 応龍がもてなしの礼を述べて別れを告げると、大奥様は涙を浮かべて言った。 「あなたは私の亡くなった息子ととてもよく似ておいでだ。私の息子は広州の通判だったのだけど、任期が満ちて帰郷する途中、盗賊に襲われて一家皆殺しにされてしまいました。幸い、私だけここに残っていたおかげで死なずにすんだのですよ。うちにはわずかながら土地があるから、行く行くは一族から養子を迎えるつもりでいたのですが、あなたを見たら、まるで死んだ息子が戻ってきたような気がしてならなくてねえ。何だか他人とは思えないのですよ。息子一家が死んでからは、ずっとお客様をお断りしていたのが、たまたまあなたの話を聞いてお泊めするつもりになったのも何かの縁でしょう。あなた、ここでお暮らしにならないかえ。そうすれば、財産の半分をさしあげようから」

「しかし、私にも両親がおりますから」

 応龍が断わると、

「ご両親も一緒に連れて来ればよいでしょう」

 と、大奥様は言った。応龍も相談するだけしてみましょう、と承諾した。

 応龍が帰宅すると、李屠はちょうど留守であった。応龍は早速母に大奥様のことを告げた。すると、母ははらはらと涙を落とした。

「その方はお前のお祖母(ばあ)様ですよ。お前のお父様は使用人もろとも盗賊に殺され、私だけが生き残りました。その時、私はお前を孕(はら)んで五ヶ月になっていたのです。今、父と呼んでいる男こそ、お父様を殺した盗賊なのです」

 応龍は驚きのあまり、床に突っ伏して泣いた。

「何という恐ろしいことでしょう。仇をずっと父親だと思っていたなんて……」

 その足で地方長官である胡石壁(こせきへき)のもとへ出頭して、李屠の悪行を訴えた。胡石壁はひそかに人を遣わして大奥様を呼び寄せた。そして、応龍の合格を祝って役所で宴を開くと偽って両親を招いた。母は大奥様の姿を見るなり駆け寄り、抱き合って泣いた。李屠はその場で逮捕された。厳しく詮議(せんぎ)したところ洗いざらい白状したので、家産を没収して死刑の処した。応龍と母は大奥様に引き取られることとなった。応龍は朝廷に上奏して李姓から鄭姓に戻った。

 この事件は南宋の理宗の治世(1225〜1264)に起きたという。

(元『江湖紀聞』)