仙人の弟子


 

 の開元年間(713〜741)のことである。呉(ご、現江蘇省)の陸生(りくせい)が推薦されて都で試験を受けた。陸生は貧しくて下僕を雇うことができなかったので、自ら驢馬(ろば)にまたがり、毎日、朝早くから知人の家へあいさつ回りに出かけていた。

 ある日、いつものように出かけたところ、突然、驢馬が何かにおびえて跳ね上がり、手綱をちぎって駆け出した。陸生があわてて追いかけると、驢馬はそのまま南の啓夏門(けいかもん)を抜けて、終南山のふもとまで駆けて行った。ふもとからは山頂に向かって一本の道が通っており、驢馬は軽々と駆け上がっていく。陸生もその後を追って山を登った。五、六里(一里は約560メートル)も行くと、立派な門構えをした邸の前に出た。

 陸生が門のすき間から中をのぞくと、茅葺(かやぶ)きの庵(いおり)の前に葡萄棚(ぶどうだな)があり、驢馬がつながれていた。

「ごめんください、ごめんください」

 陸生が案内を乞うと、しばらくして老人が門を開けて現われた。老人には不思議な威厳がそなわり、明らかに常人とはどこか異なっている。老人は陸生を中へ通して席を勧めた。

 陸生が驢馬のことを説明して連れ帰ろうとすると、老人はニッコリ笑ってこう言った。

「おや、あなたは驢馬のためだけにこちらにおいでになったのですか? 驢馬にここへ来るよう仕向けたのは私なのですよ。しばらくここにいらっしゃれば、意味がわかりますよ」

 そして陸生を奥へ案内してくれたのだが、邸のこしらえはたいそう立派で庭も精緻(せいち)を凝らしたもので、まるで神仙の住まいかと思われた。その晩、陸生は老人に勧められるまま、ここに泊まることにした。宴席には佳肴珍味(かこうちんみ)が並び、奏でられる歌舞音曲は耳に新しかった。

 陸生はこの見知らぬ老人はどうして自分をここまでもてなしてくれるのだろうか、と心中、驚きと恐れでいっぱいであった。

 翌日、陸生が礼を述べて別れを告げようとしたところ、老人はこう言っ た。

「実はここは仙人の住まいなのですよ。あなたには仙人となる素質がおありですので、術を弄してお招きしたのですよ」

 そして左右に居並ぶ数人の下僕を指さした。

「これらはすべて城内の肉屋や酒屋で、皆、私の弟子です。修行を達成すれば、雲を起こし、雨を降らせることができるばかりでなく、姿を見えなくすることだってできますよ。どこへ行って何をしようとも、誰にも気づかれないのです。それに寿命だって天地と同じくらい延ばすことができます。試験に合格して功名を立てることなどより、素晴らしいことだと思いますよ。さあ、いかがです? 私の弟子になる気はありませぬか」

 これだけよい話ばかり聞かされて陸生、すっかりその気になった。陸生は老人の前にひざまずいて拝礼した。

「是非、弟子の一人にお加え下さい」

 すると、老人は先ほどまでの恭しい態度とはうって変わって、居丈高(いたけだか)な態度をとった。

「ならば、入門の謝礼としておなごを一人献上してもらおうか。フン、見たところ、このままではおなごを手に入れることなど無理そうだからな、一つ術を授けてくれよう。これは無料であるからな、心配しなくともよい」

 そして人の身の丈ほどある竹を一本持って来させた。

「この竹を持って城内に戻るのだ。そして五品(ごほん)以下の家へ入っておなごを探すのだ。これはと思う美形を見つけたら、この竹を身代わりに残しておなごを連れてまいれ。くれぐれも四品以上の邸に入ってはならぬぞ」

 老人は何度も言い聞かせてから、陸生に向かって呪文(じゅもん)をつぶやいた。

 陸生は竹を手に城内に戻ったものの、何分、都は不案内で、五品だ、四品だと言われても、どこにどの家があるのやらさっぱりわからない。そこで、適当に官吏の家のありそうな住宅街へ行ってみることにした。その途中、誰にも自分の姿が見えていないらしいことに気づいた。

「お師匠様が唱えていたのは隠形(おんぎょう)の呪文かあ」

 こんなすごい術が自分に使えるようになるのなら、と陸生は張り切って娘を探すことにした。しかし、何軒か入ってみたが、どの家にも娘はいなかった。

「肝心の娘がいないんじゃあ、どうしようもないなあ。隣は少し立派な邸だぞ。もしかしたら娘の一人くらいいるかもしれないな」

 そうつぶやいて陸生が入ったのは戸部(こぶ)の王侍郎の邸であった。ちなみに侍郎職は正四品下であったが、陸生にそのことがわかるはずがない。ズンズン奥へ通ると、美しい娘が鏡台に向かって化粧をしていた。

「これなら、お師匠様のお気に召すだろう」

 陸生が腕をつかむと、娘は、

「あれっ!」

 と一声あげて気を失ってしまった。

「竹を残しておけと言われたなあ」

 陸生が手にした竹を床に放り投げると、竹は娘の姿に変わった。そこへ小間使いがやって来て竹の変じた娘を見るなり、

「お嬢様が死んでしまいました!」

 と叫んだものだから、大騒ぎになった。騒ぎに乗じて陸生が外へ出ようとしているところへ、王侍郎が宮中から戻って来た。王侍郎は娘が倒れたと聞いて、自ら様子を見に奥へ飛び込んで来たものだから、陸生、あわてて扉の陰に隠れた。王侍郎は娘がこときれているのを見ると、ワッと泣き伏した。

 そのすきに陸生、外へ出ようと門に向かったところ、今度は王侍郎の従者達が入って来るのとかち合ってしまった。自分の姿が見えないことはわかっているのだが、やはり正面からぶつかる勇気はないので、あわてて避けた。塀を乗り越えて出ようと思えば、表の道には王侍郎の帰宅を聞いて、陳情に来る者達がひしめき合っている。さらには日頃から付き合いのある高官達まで集まって来たものだから、邸の内外は蜂の巣をつついたようになってしまった。

 これには陸生、外へ出ることもならず、娘を抱えたまま表と奥を仕切る中門の陰にじっと身を潜めた。

 王侍郎は娘の死が尋常ではないので、もののけの仕業ではないかと疑った。そこで、宮中へ葉天師(しょうてんし)を呼びに人をやった。葉天師が王侍郎の邸へ来た頃には、騒動が起きてからすでに半日近くが経っていた。葉天師は娘の亡骸(なきがら)を見るなり言った。

「これはもののけや幽鬼の祟りではござらぬ。道術の心得のある者の仕業(しわざ)でござる」

 そして、水を口に含んで娘の亡骸に吹きかけたところ、たちどころに竹に戻った。葉天師は周囲を見回して、

「術をかけた者はまだ遠くへは行っておりませぬぞ」

 と言うと、刀を引っさげて呪文を唱えながら、邸内を隅々まで捜した。中門まで来ると、

「隠形の術など、ワシには効かぬわ!」

 と一喝して、水を吹きかけた。その途端、娘を抱えた陸生の姿が現われた。陸生は即座に縛り上げられ、厳しい取り調べを受けた。陸生は責め苦に耐えかねて、洗いざらい白状した。

「終南山に住む不思議な老人から仙人の弟子にしてやると言われて、このような大それたことをしでかしました」

 早速、捕り手をさし向けてその老人を捕らえることにした。陸生も首かせをかけられて、道案内をさせられることとなった。ところが、終南山のふもとまで来てみると、山頂へ通じる道がなくなっている。

「こやつ、でたらめを申したな。戻り次第、存分に処罰してくれるから、覚悟しておれ」

 そう言われても陸生にもさっぱりわけがわからない。陸生は絶望して山に向かって泣き叫んだ。

「お師匠様、お師匠様は、このまま私を死なせるおつもりなのですか?」

 すると、山頂からすーっと一本の道が現われた。そして、一人の老人が杖をつきながら山道を降りて来た。老人がふもとに来るのを待って、捕り手が前へ進み出た。その時、老人は捕り手と自分との間の地面に杖で線を引いた。またたく間に幅が一丈あまりもある川になった。陸生は地面に額をこすりつけて懇願した。

「お師匠様、お助け下さい」

 老人は言った。

「ワシは四品以上の邸へ入ってはならぬと、何度も申したであろう。お偉方になると、後で色々と面倒なことが起こるからだ。これもすべては自業自得じゃ。しかし、見捨てるわけにもいかぬな」

 捕り手の目の前で、老人は水を口に含んで吹きかけた。その途端、濃い霧が数里にも渡って広がり、昼間だというのに辺り一面暗くなった。しばらくして霧は晴れたのだが、陸生は首かせを残して姿を消していた。山頂へ通じる道も、川もなくなっていた。

(唐『原化記』)