2001年6月の話梅子
聞き込みだ
2001/06/22
今日、出かけようとした矢先、チャイムが鳴りました。セールスぐらいに思って父が応対に出たところ、何と刑事さんでした。ゴリさんや、殿下のような感じではなく、どこにでもいそうな普通のオジサン。
「近所で何か妙な噂とか聞きませんでしたか?」
オジサン、じゃなくて刑事さんはこう切り出してきました。そう、実は一ヶ月ほど前に近くで殺人事件が起きたのです。すぐに解決できるだろうと思っていたら、捜査は意外に難航しているとか。それで一軒、一軒、聞き込みをしているそうです。これが、噂に聞くローラー作戦か。
世間話のような感じですが、家族の事件当日のアリバイ(?)もしっかりきかれました。母も私も日記というか一日のメモのようなものをとっているので、それを持ち出していちいち説明しました。
こうやって近所を聞き込みして回るということは、犯人は地元にいるのでしょうか。早く捕まってほしいものです。
オススメ!効果はすごい
2001/06/21
「めろんぱん」からのメルマガ配信を開始して、約一ヶ月。毎週5誌限定、一ヶ月に20誌にだけ許される狭き門「メルマガナビ、オススメ!」に我が『中国の不思議な役人』が選ばれました。
オススメ効果はすごい!一日で130人以上も読者が急増。この余波でかどうかはわかりませんが、他の配信システムも徐々に増加しつつあります。つい先ほど合計を出してみたところ、2185人でした。(多少の誤差あり。私は計算は苦手なのです)
2185名かあ。マンモス校の校長先生になった気分。朝礼で演説ぶっちゃったりして。
たとえ、3000人を超えても、私は謙虚な心を失いません!!と胸を張って言っておこう。
悪魔の恋
2001/06/19
18世紀フランスの作家ジャック・カゾットの作品に 『悪魔の恋』という小説があります。
ある青年が悪魔を呼び出し、これを僕とします。悪魔は可憐な美少女の姿をとり、「ビヨンデッタ」と名乗ります。美少女悪魔は普段はお小姓姿で青年に仕えるのですが、どういういたずらか青年に恋をしてしまうというお話。色々あって二人は結ばれることになり、美少女悪魔は青年に自分を本名で呼んでくれ、と頼むのです。
「汝を愛す、ベエルゼビュート」
青年がそう呼びかけた途端、部屋中がまさに魔夜峰央の描くようなブラックな世界になり、青年が昏倒している間に悪魔は姿を消します。ベエルゼビュート、つまり美少女悪魔の正体はベルゼブルだったのです。
分類すれば怪奇小説の部類に入るかもしれません。しかし、全編を通じて漂う優美な雰囲気がとても好きでした。一級の恋愛小説と言ってもよいでしょう。
ジャック・カゾットはフランス革命後の混乱の中、王党派支持の姿勢を隠さなかったため処刑されました。
エヴァンは復活できるのか
2001/06/17
私の数少ないお楽しみは毎週日曜日の正午にテレ東で放映される『刑事ナッシュ』を見ることであります。
新シリーズに変わったら、もみ上げ刑事のエヴァンがすっかり地味になっておりました。銃の暴発でタマタマの片方が吹っ飛ばされるわ(痛そう……)、その暴発にはナッシュの娘でエヴァンと結婚寸前までいったキャシディが関係あるやら、もうすんごいことが彼の身の上には起きたらしいのであります。エヴァンはすっかりふてくされてしまい、反則のスタンドプレーまでしでかして、今では停職処分。しかも、留置所にまでぶち込まれ、その保釈金を元彼女のキャシディに立て替えてもらうという不甲斐なさ。このまま落ちていくのか、エヴァン。
来週はジョーの副業の探偵事務所を手伝うみたいです。ということはいつも事務所にいるピアス兄ちゃんはお払い箱なのでしょうか?
私がこのドラマを好きな理由は脇役が個性的だからです。一、二ヶ月に一度出てくる“ケイトリン命”のジェイクとか、一言二言しかセリフを話さないけど、いつも署内にいるゴッツイ制服のおじちゃんとか。そういえば、弁護士で市長の義理の息子は最近、出てきませんね。ついこの間、賞金稼ぎとして出てきたかと思うと、逮捕されたらしいのですが。
壊れることはないのでしょうか
2001/06/16
最近、梅雨時ということもあって、持病の頭痛がパワーアップです。もう、風に吹かれても痛いくらい。これでは痛風だ。笑うだけで痛いよう。
思うに腹痛や風邪と違って、頭痛はこれといった根本的な治療のない痛みです。せいぜい鎮痛剤を飲んでその場をしのぐくらい。痛みの原因というものが特にないのですから、いつ踏むかわからない地雷のようなものです。あえて原因を言えば、気候の変化が関係するくらいでしょうか。
昨日はひどい頭痛で一日中、起きることもできなければ食事もできませんでした。痛みにのた打ち回りながら(というほどではありませんが)考えました。こんなに痛くなって頭が壊れることはないのでしょうか?脳が破裂したり、頭蓋骨が割れたり、そんな派手な壊れ方でなくても脳細胞の連結が切れたりとか起きないのでしょうか。電化製品も少しずつ不調が重なってついにはおシャカになってしまうこともあるではありませんか。
そういうことを考えていたら、ますます頭が痛くなってまいりました。
ルイ伯爵を探せ
2001/06/14
先日、『TVタックル!』で「梅雨の田嶋陽子まつり」をやっておりました。田嶋先生ももう還暦だそうです。なかなか保存がよろしいようで、過去の映像よりも若返ってらっしゃるようにお見受けいたします。
華麗な経歴は学問の世界だけでなく、恋愛方面にも及んでいるご様子。ベルギーの伯爵との恋もあったとか。ルイ伯爵だそうです。お城の写真は出てたけれど、ご本尊のお姿は拝めませんでした。ううう、見てみたい。
さて、田嶋先生も夏の参院選には社民党から出馬なさるとか。出馬記念にルイ伯爵を探せ!という企画を『TVタックル!』で立ててもらえないものでしょうか。水曜スペシャルの川口浩探検隊のような雰囲気で。きっと見たい人はたくさんいると思うのですが。
お願い、テレ朝サマ!!
ワニの釣り方
2001/06/13
皆さんはワニの釣り方をご存知でしょうか?え、ご存知でない。では伝授いたしましょう。
まずエサとして豚の背中を用意します。これにワニ用の鉤と釣り糸をつけて、ワニのいそうな川の中流に投げ込みます。エサとは別に子豚を一頭連れてきます。エサを投げ込んだら、この子豚をぶちます。もちろん子豚はプギプギ鳴きます。子豚の鳴き声を聞きつけたワニは水面に浮上してきますが、その時、エサとして投げ込んである豚の背中にぶつかり、本能で呑み込みます。ワニがエサにかかったらこちらのもの。力任せに引き上げます。あとは魚を釣る時と同じですね。
役に立つかどうかはわかりませんが、ヘロドトスの『歴史』に出ておりました。機会があればバナナワニ園で試してみたいものです。
プチアノン
2001/06/12
にわか音楽家、ジルベール話梅子です。やっぱり朝はディベルティメントで目覚めなくっちゃ。額にかかる巻き毛(?)を物憂げにかきあげながらそう思うのであります。芸術家は朝が弱い。
朝食はマイセンのカップにたっぷりの森○のコーヒー牛乳とクロワッサン。トルコを食っちまえ!ざます。弱った指を鍛えるために、ひたすら『ハノン』を反復練習。『ハノン』をフランス風に『アノン』と発音すると、ぅんもう、素敵!!Hをそのまま発音するとドイツ風で野蛮よね。だんだん、口調がおすぎとピーコみたいになってきちゃったわ。お子様ヨーグルトの『プチ○ノン』は品詞分解すると『プチ+ド+アノン』なのかしら?
ああ、話がドンドン脱線してゆく……。脱線ついでに、モーツァルトの死因は半生カツの寄生虫だという新説が出ましたね。母親への手紙で、
「手作りチーズで今日もお通じ快調!」
なんてこと書いている人だから、ありえそうといえばありえそう。
書くということ
2001/06/11
皆さん、ご存知のこととは思いますが、私は零細ながらメルマガとHPを主催いたしております。こういう媒体の存在のおかげで、私のようなモノを書くことを仕事としていない人間でも、自分の文章を多くの人に向けて発信することができます。つまり、私の書き散らす(というか打ち散らす)駄文は不特定多数の目を汚すこととなるわけです。
普段の生活でも電子メールという安価で手軽な通信手段が普及し、伝えたいことを文字にして、そのまま発信するという機会が多くなりました。何と便利なことでしょう。手紙を書くのは億劫でも、メールならチョチョイのチョイ、で気軽に送れるのです。おかげで、文章を書く機会が格段に増えました。こんなに気軽に自分の考えを文字にできるなんて、スンバらしい。少なくともはじめの内はそう思えました。
しばらく経つうちに一つの疑問が生じました。メールやネットで流す言葉は会話に属するのか、または手紙と同じなのか。
喋った言葉というのはその場で消えますが、書いた言葉というのは撤回することができない。それゆえ、手紙などの文章を書く時には慎重に慎重を期さなければならない、と。これは子供の頃から、母に教え込まれたことです。
消えるからといってあまりに無責任な言葉を口にするのも誉められることではありません。ただ、文字にしたためたものは残ってしまうので、後で何度でも読み返すことができるというのは事実です。不思議なことに面白くない内容であればあるほど読み返す回数も増えるようです。そして、その都度、不快になる悪循環に陥ります。
また、文章というのは言葉遣いからその考えまで書く人の個性を如実に表しもします。あまりに変な言葉遣いをしてしまうと、いかに正論をぶっていても、
「この人はこの程度」
と思われそうです。これが対面して話しているのなら、笑い飛ばしてすまされるでしょう。何となく行間から書き手のバックグラウンドまで見えるような気がするのです。何だか、お見合いの席での食事みたい。(お見合いでは食事の作法、食物の嗜好を通じてその人の育ちを見るのだと聞いたことがあります。ひゃあ、おそろしい!!)
ここで己の姿を省みなければなりません。……わあ、かなりまずいものを残してきているではありませんか!!
「他人になんて思われようとへっちゃら」
と心を強く持していれば何ともないのでしょうが、私、そこまで心が強くはございません。やはり、人の目が気になるのです。
やはりどういう形であれ、文章を書くということにはそれなりのリスクがついて回るということでしょうか。
これにちなんだラテン語格言をば。Verba volant, scripta manent. 言葉は飛び去るが、書かれた文字はとどまる。
四の五の言っておりますが、要は文章の下手な小心者なのです。美文を紡ぎだせたならば、その言葉には永遠にとどまってほしいものです。
これからはこのコーナーも慎重になりますぞ!!!
責任能力を問うてはならないのか?
2001/06/10
金曜日には大阪で大惨事が起こりました。罪もない8人もの子供達の命が奪われ、何といってよいかわかりません。子供達はどんなに恐ろしい思いをしたことでしょう。
今回の事件は容疑者に精神病歴があるということが大きなネックになるようです。つまり、責任能力を問えない、ということ。事実、弁護側はこの点を強調しております。しかし、冷静に考えると、病歴があるから責任能力を問えない、というのも奇態なことです。実際、精神病歴のある人がどれだけ犯罪を犯しているでしょう?健常者よりも割合としては少ないのではないでしょうか。
ここで私が言いたいのは、精神病歴のある人も健常者もほとんどの人は犯罪など犯さない、ということです。要するに犯罪を犯すのはどちらも極一部の人間なのです。精神病歴のある人に責任能力がない、と声を大にして言い立てることは、
精神病歴がある → 犯罪を犯しても責任能力を問えない
→ その理由は病歴があるから → 病歴のある人は犯罪を犯す可能性が大きい
という理解に繋がるのではないでしょうか。ひいては病歴のある人への偏見を助長することになります。強調しておきたいのですが、多くの人は犯罪など犯しません。
犯罪を犯す時には誰しも判断能力を著しく欠いている状態にあるはずです。そうでなければ犯罪、ことに殺人のような凶悪な犯罪を犯すことなどできるはずはありません。これは健常者であろうと病歴のある人であろうと同じはずです。
そろそろ公然と行われている偏見を取り払う時代が来てもよいのではないでしょうか。
ダミアンの誕生日
2001/06/06
今日は悪魔の申し子、ダミアンのお誕生日です。『オーメン』の獣の数字、はやりましたね。最初にあの映画がテレビ放映された翌日は学校で頭に数字が書いてあるだのないだの、と話題になりました。ちなみにあの頃は口裂け女もはやっておりました。ヨハネの黙示録を読みたくて読みたくて、父にねだって『新約聖書』を買ってもらったのもその頃です。
思えば『オーメン』が一世を風靡した(?)あの時代、世は冷戦まっさかりでした。そのせいもあって、ヨハネの黙示録をさまざまに解釈しようとする風潮がありました。圧倒的に多かったのが第三次大戦の予兆。第十三章に出てくる二匹の獣は当時の超大国アメリカとソ連を当てはめたりしておりました。ノストラダムスと同じですね。あと、EC(当時)とアメリカの市場経済の激突という説もあったような記憶が。
フランスのアンジェに黙示録をモチーフにしたタペストリーがあります。その内の一枚がこの二匹の獣を織り出したもので、何とも幻想的な一点です。写真でしか見たことはないのですが、静寂が漂ってくるような印象です。いつか現物を見てみたいものです。
ただ、第三部『オーメン―最後の闘争―』はいただけなかったですね。
首がカユイのです
2001/06/03
影丸のような髪型になっていた私、ついに耐えられず、髪を切ってまいりました。鏡を見ると……坊ちゃん狩り、ならぬ刈り。うなじを刈り上げているので、かゆくてかゆくて。
ネパールでどえらい事件が起きました。「偶然の事故」と報じておりますが、事故にしては腑に落ちない点が多すぎるような気も。かりに事件としても、結婚を反対されたくらいで銃を乱射するものでしょうか。某国では「×子と結婚できなければ皇籍離脱する!」とゴネた宮様もいたのに……。
祖母の三回忌
2001/06/02
今日は祖母の三回忌です。といっても特別なことはしません。お彼岸やお盆と同じように、お寺さんに手紙を書いてお経をあげてもらうだけです。祖母が亡くなってから二年になりますが、一度も田舎には戻っておりません。もちろんお墓参りも。
「いつでも戻っておいで」
そう言ってくれるのは父の従兄弟達です。
「叔母さんはかわいそうだったわ」
そう言うのは父の従姉妹達。二年前のことを思い出すにつけ、私は父の妹達や弟のようには絶対なるまい、と心に決めるのであります。
夢で会えたらブラッド・ピット
2001/06/01
妙な夢を見ました。何と、ブラッド・ピットと中華の円卓を囲むというもの。しかも変人で知られる数人の友人も同席しているのです。ブラピと私達がどういう関係かというと、大学の同級生。私は夢の中で、
「ホント、ブラピそっくりだよね」
などと言って「ブラピ、ブラピ」と呼んでいるのです。食後、ブラピはJRで帰って行きました。私が連れの一人に、
「ブラピって本名何だったっけ?」
とたずねると、
「川田正明だよ」
とのこと。さて、この夢の意味するところや何ぞや。欲求不満かいな?
ちなみに夢に出てきたブラピは一回りほど小柄でした。