超絶技巧


 

 の穆宗(ぼくそう、在位821〜824)の時のことである。
 飛龍隊の衛士に韓志和(かんしわ)という人がいた。もとは倭国の人である。倭国で何をしていたのか誰も知らなかったが、木彫りの技術に非常に優れていた。彼が彫った鳥は餌をついばんだりさえずったりして本物と変わりがなかった。また、仕掛けられたゼンマイを巻くと羽ばたいて舞上がり、百歩ほど離れたところに着地した。鳥の内部に精巧なからくりが仕掛けられているのである。また、猫も彫ったが、鳴くだけでなく自在に駆け回って雀や鼠を捕らえることができた。
 飛龍隊の隊長はその技術を珍奇に思い、これらの細工物を帝に献上した。帝は自ら細工物を動かしてみて、その精巧さに驚いた。そこで韓志和を召し出すと、もっと大がかりな仕掛けを造るよう命じた。数日後、韓志和は高さ数尺の踏み台を彫り上げ、帝に献上した。金銀の彩色が施され、彫りも見事である。しかし、見たところ普通の踏み台と何の変わりもない。帝の顔に不審な表情が浮かんだ。それを見てとった侍従が代わって、韓志和に訊ねた。
「これなる品は何じゃ?」
 韓志和は訛りのある中国語を操って答えた。
「これ、見龍台、いうでございますです。このままでは龍、見えませんでございますです。上にあがれば龍、見えますでございますですね」
「ほう、龍とな?」
 興味を引かれた帝が身を乗り出した。踏み台の側まで来ると上から下までしげしげと眺め上げ、
「上にあがれば見えるのじゃな」
 と片足をかけた。その途端、目の前にグワッと口を開いた龍が現れた。その双の目には凶暴な光が浮かび、今にも躍りかかってきそうである。

「ひぃぃぃっ!!助けてくれい!」

 肝をつぶした帝は台から飛びのいた。同時に龍の姿も消えた。
「これ、私、彫った、造った龍でございますです。本物ではございませんです」
「作り物なのか?」
 侍従の後ろに身を隠したまま帝がきいた。
「はい、こうするでございますです」
 韓志和はそう言うと、勢いよく台の上に飛び乗った。さきほどのの龍が再び姿を現した。
「今度、こう、するでございますです」
 そう言って、韓志和は勢いを付けて台から飛び下りた。すると、龍は身をくねらせながら空へ昇って行った。やがてその姿は小さくなり、雲の間に消えた。
「これ、昇り龍、いうでございますです」
 帝は青い顔をして、相変わらず侍従の背中に隠れたままである。それを見て韓志和は平伏して言った。
「陛下驚かせ奉りましたでございますです。罪、万死にあたるでございますです。お願いでございますです、今度は小さな細工で陛下を楽しませ奉ることをお許し下さいでございますです」
「万死と言うのも大げさじゃが、朕に何を見せてくれるのかの」
 韓志和は懐から桐の小箱を取り出した。手の平に載るくらいの大きさである。蓋を開けると、赤い小さなものがぎっしり詰まっていた。
「これは何じゃ?」
 帝の問いに韓志和が答えた。
「蠅取り蜘蛛でございますです」
「これも細工か?であろうな。なぜ、赤いのじゃ」
「燃料として丹砂(注:硫黄と水銀の化合物)を与えてるでございますです。与える物の色で体の色も変わるでございますです。この蜘蛛どもの舞いをご覧にいれたく存じますでございます。白玉の盤と楽士のご用意をお願い奉りますでございますです」
 侍従が白玉の盤を運んで来た。その上で箱を傾けると、蜘蛛が一匹ずつ這い出してきちんと五列に並んだ。教坊から(注:宮廷の音楽を司る官署長)楽士が呼ばれた。
「この蜘蛛どもは何の曲を好むのじゃ?」
「涼州の曲でございますです」
 帝の命を受けて楽士が演奏を始めた。蜘蛛達は曲に合わせて一斉に踊り出した。前進したり、後退したり、円を描いたり、各列が二手に別れて交差したり、と非常に複雑な動きを見せた。驚くことに歌詞の入る部分になると、蚊の鳴くような声で歌うのであった。
 曲が終わると、蜘蛛達は一斉に帝の方に向き直って礼をし、ぞろぞろと箱に戻って行った。一番大きな蜘蛛が一匹だけ残った。
「見事じゃ、見事じゃ!」
 帝は手を打って褒めそやした。
「このような不思議な技、朕は見たことないぞ」
 韓志和は残った蜘蛛を指に止まらせて言った。
「これは蜘蛛でございますです。もちろん、虫を捕ることもできますでございます」
 蜘蛛は周囲数歩の内にいる蠅を次々に捕え始めた。一匹も逃さず、まるで鷹が雀を捕えるような観があった。これには帝も大喜びで、たくさんの銀器や錦を褒美として与えた。韓志和は、
「いつか、もっと凄いものお見せするつもりでございますです」
と言って帝の前を辞去した。そして宮門を出ると、貰った褒美を惜しげもなく他人にやってしまった。
 それから間もなく、韓志和の姿は飛龍隊から消えた。その行方は誰にもわからなかった。いつしか韓志和のことは忘れられた。

 帝は牡丹が好きで宮殿の中庭に八重咲きの牡丹を植えていた。一つの花に千枚の花びらを付ける非常に珍しい種類で、大輪の紅の花が開くと宮殿中が華やかな芳香に包まれた。帝は宮殿の牡丹が大層自慢で、いつも眺めては、
「この世にこれほど美しい光景があろうか?」
 と一人悦にいっていた。
 牡丹が開き始めた頃のことである。夜になると宮殿の中庭に無数の蝶が姿を現すようになった。蝶はいずれも金色と銀色に輝いていた。何万もの金と銀の蝶が牡丹の花に止まると、宮殿の中庭は金色の炎に包まれたようであった。夜明けになると蝶はどこかへ飛び去ったが、夜になるとまた戻って来て花に止まった。
 蝶の話を聞いた帝は夜になるのを待って宮女達に薄絹を持たせて中庭に下りさせた。蝶を捕えさせるつもりなのである。不思議なことに蝶は近付いても逃げないので、捕えるのは容易であった。
 数百も捕えると宮殿に網を張り、集めた蝶をその中に放った。そして宮女達に蝶を追わせては、それを眺めて楽しんだ。自らも宮女達に混じって蝶を追った。中庭では牡丹に止まった蝶が無数の光を放っていた。蝶を追うのに疲れれば、中庭を眺めた。一晩中、そのようにして遊んだ。
 夜が明けると、中庭の蝶は宮殿の外へ飛び去った。宮殿の中に放った蝶は、全て金や玉でできた本物そっくりの細工物であった。夜になるとまた燃えるように輝き始めたので、宮女達は蝶の足を糸で結わえて髪や胸に飾った。帝も宮女達も夜になるのを待ち望んだ。夜になれば蝶がまた飛んで来るからである。しかし、蝶遊びをした翌日の夜から蝶は姿を現さなくなった。翌日の夜も、その翌日の夜になっても蝶は飛んで来なかった。
 ある日、帝は点検のために久方ぶりに宮中の宝物庫を開けさせた。不思議なことに金銀、玉の細工物がなくなっていた。慌てて探すと、金や玉の破片が出てきた。中には蝶の形をした破片もあった。

「いつか、もっと凄いものお見せするつもりでございますです」

 帝の脳裏に韓志和が言い残した言葉が浮かんだ。

(唐『杜陽雑編』)