紅い酒
北魏の孝昌年間(525〜527)のことである。
虎賁(こほん、注:皇帝の護衛兵)の洛子淵という者がいた。経歴は詳らかではないが、本人の言によると洛陽出身とのことであった。この頃、子淵は彭城(注:現在の江蘇省徐州)に派遣されて国境守備の任に当たっていた。たまたま同僚の樊元寶(はんげんぽう)という者が休暇で都の洛陽に戻ることになった。子淵はこの元寶に手紙を託して言った。
「ご足労だけどこの手紙を届けてもらえないかな。僕の家は霊台の南にあるんだ。洛水のほとりに行きさえすればわかるよ。家の者が誰か迎えに出てるはずだから」
洛陽に戻った元寶は早速、霊台へと出向いた。しかし、切り立った崖が聳(そび)えるだけで、辺りに人家など一軒も見当たらない。しばらくウロウロしていたが、誰もいないのでそのまま立ち去ろうとした。その時、忽然と一人の老人が現れた。
「さっきから何をしておられる?どこからおいでかな」
元寶が子淵の手紙を示すと、
「ワシの子からの手紙じゃ」
と老人は言って手紙を受け取り、元寶の先に立って歩き始めた。しばらく行くと、目の前に突如として壮麗な館が現れた。拵(こしら)えも、使用人の数も王侯の宮殿と見紛うばかりに贅をこらしたものであった。
元寶は促されるまま客間に通され、上座に坐った。老人は婢女(はしため)に酒を運んでくるよう命じた。酒の来るのを待つ間、元寶が老人に子淵の近況などを話して聞かせていると、子供の死体を抱きかかえて通りすぎる婢女の姿が見えた。死体には血の気がなく、髪の毛はぐっしょりと濡れていた。元寶が不審に思っている内に、酒が運ばれてきた。酒は真紅で、濃厚な香りが鼻孔を打った。続いて山海の珍味をことごとく集めたかと思われる料理が並べられた。
十分なもてなしを受けた後、元寶は帰ることになった。老人は自ら元寶を洛水のほとりまで見送ってくれた。元寶は老人のもてなしに何度も礼を述べた。
「恐らくもうお会いすることはないでしょう。残念ですな」
老人はそう言って、元寶に背を向けた。そして一歩踏み出した途端、その姿はかき消すように見えなくなった。ただ、目の前には切り立つ崖が聳えるだけであった。
ふと洛水の流れに目を向けると、汀(みぎわ)に子供の死体が打ち寄せられていた。青白い顔で、鼻孔から一筋血が流れ出ていた。この時、元寶は自分が飲んだ酒の正体を悟った。
短い休暇を終えて彭城に戻った元寶は、同僚から子淵が失踪したと知らされた。元寶は子淵と三年間、同じ釜の飯を食べる仲であった。今の今まで、よもや子淵の正体が人ならぬ、洛水の神であるとは知らなかったのである。(六朝『洛陽伽藍記』)