皇帝と道士
唐の玄宗皇帝は珍しもの好きであった。最近では特に道術に大いに興味を抱いていた。その不思議さを目の当たりにするにつれ、自分でも習得して皆を驚かせてみたいと思うようになった。そこで道士の羅公遠に頼み込んで、隠形(いんぎょう)の術を学んだ。隠形とは姿を見えなくする秘術である。この術を習得した帝は早速、試してみた。こっそりと後宮に入ると、
「あれ、陛下の鞋が歩いている」
宮殿から抜け出そうとすると、
「陛下、なりませぬぞ」
と帯をつかまれる。帝の隠形の術は不完全なものであったので、体は消せても衣の帯や頭巾の紐が見えていた。要するに羅公遠が肝心な奥義を教えなかったのである。
帝はこのことを不服に思った。いつまで経っても羅公遠は奥義を伝授してくれそうにない。苛立った帝は羅公遠を詰った。すると羅公遠は涼しい顔でこう答えたのであった。
「そもそもこういう道術は俗世を捨て去った者にだけ許されたものです。なのに、陛下は道術を遊びになさっておられます。もしも、奥義をご習得なさったら、それこそ玉璽(ぎょくじ)を懐に民家にお忍びで出掛けられ、世間に混乱をもたらすことでしょう」
帝は怒って羅公遠を斬らせようとした。羅公遠は宮殿の柱に向って駆け出すと、その姿は柱の中に吸い込まれてしまった。そして、柱の中から帝の過ちを痛烈に批判したのである。これに激怒した帝は柱を抜いて砕かせた。今度は柱の礎石の中から羅公遠の声が響いた。礎石をよく見てみると、透き通って中に羅公遠がいるのがよく見えた。身長は一寸(注:約3センチ)余りになっていた。帝は早速、礎石を粉々に砕かせると、驚いたことに破片の一つ一つに残らず羅公遠の姿が見えた。破片の大きさに合わせて、その身長はまちまちであったが、どれもが帝を非難しているのである。「帝はおふざけがひどすぎる…」
「俗世も捨てられぬくせに…」
「暴君!暴君!」
「批判も許さぬとは…」これには帝の方がまいってしまい、羅公遠に頭を下げて己の非を詫びた。その途端、礎石の破片から羅公遠の姿が消え、床には散らばる礎石の破片だけが残っていた。
その後、帝の使者が蜀(注:四川省)へ赴いた折り、羅公遠を見かけた。杖をつきながらゆっくりと歩いている。使者は馬に鞭打ってその後を追った。しかし、不思議なことに常にその距離は一定で追いつくことができない。そこで、呼ばわった。すると、くるりと振り返ると笑いながら言った。
「いつぞやは陛下に大層失礼なことをした。ワシに代わってお詫びしておいておくれ」
(唐『酉陽雑俎』)