酒の泉
常府(注:現在の湖南省)から十五里(注:1里は約550メートル)ほど離れた農村で崔という婆さんが茶店を営んでいた。この婆さん、大層信心深くて僧侶や道士が通りかかると必ず施しをするのが常であった。
この崔婆さんの茶店の前をよく通る一人の道士がいた。その往復は十何遍にものぼったが、婆さんはその都度、ただでお茶を飲ませてやった。このことに深く感謝した道士が、ある日婆さんに言っ
た。
「ワシはお前さんに酒屋を営ませてやろうと思うのだが、どうかね?茶より儲かるぞ」
聞いた婆さんは大喜びして、そうしたい旨を告げた。道士が杖で地面を突くと滾々と清水が湧き出てきた。婆さんはこの水で酒を醸(かも)せということだと思って、
「折角じゃが、酒の醸し方を知らんのですがのう」
と言うと道士は、
「このままで酒になるのじゃ」
と婆さんに清水を汲んで持ち帰らせた。持ち帰った清水は不思議なことに酒に変わっていた。それもとびきり上等な酒なのである。崔婆さんの酒の評判は瞬く間に広まり、買い求めに来る人で茶店の前に行列が出来るほどであった。この行列客を目当てに物売りが出る、茶店が出来る、という具合でついには市場が開かれるほどになった。
婆さんは特にこの泉へ他人が立ち入ることを禁じるようなことはしなかった。なぜなら、婆さん以外の人がこの水を汲んでもただの水でしかなかったのである。そんなわけで婆さんは利益を独占することができた。
ある日、泉を掘ってくれた道士が通りかかった。婆さんは道士を引き留めてもてなし、感謝の言葉を述べた。
「お蔭さんで、大儲けをしましたわ。ただ、この方法では豚に食わせる酒粕が出ませんなあ。それが、残念で残念で…」
婆さんの言葉を聞いた道士は不愉快な顔をして無言で泉に行くと、杖で一突きした。そして、一言も発せずに立ち去った。
以来、婆さんが泉の水を汲んでも酒にならなくなってしまった。
婆さんの欲張り根性が道士の怒りを招いたのである。(元『湖海新聞夷堅続志』)