くしゃみ
越州(注:浙江省)諸曁(しょき)県は虎の多いところである。
ある晩、一人の酔っ払いが山中を歩いていた。あちらへフラリ、こちらへフラリ、とすこぶる危なっかしい足取りである。しばらくフラフラと歩いていたが、やがてそのままゴロリと横になり、大いびきをかき始めた。男が横になっているのは、片側が切り立った崖になっているすこぶる危険な場所であった。
そこへ一匹の虎が現れた。虎は男のそばに寄って来ると、その匂いを嗅ぎ始めた。フン、フン…。
虎の鼻面が体中を這い回っていたが、男は一向に気がつかないで泥のように眠っている。虎の鼻面はだんだん男の顔に近づいた。肩から首筋、顎、口元、鼻先…。
フン、フン…。
「ふぇ…」
男の鼻がモゾモゾと動いた。虎の髭が男の鼻を刺激したようである。
「ふぇ…ふぇ…」
虎はなおも男の顔を嗅ぎまわる。「ふぇックショイ!!」
男のくしゃみが山中に響き渡った。
「グゥァオオォォォ…ゥ…」
それに続いて崖を転がり落ちていく虎の絶叫がこだました。虎は突然のくしゃみに驚いて、崖から足を滑らせたのであった。
(唐『朝野僉載』)