南海の怪異


 

 騎士は若い頃、李勣(りせき、注:唐朝開国の元勲)に従って各地を転戦したことが自慢であった。彼はよく、南海で経験した怪異について語った。

 それは張騎士が初めて海に出た時のことだった。風に乗って大海原を進むこと十余日、突然、風が止んだ。先程まで風をはらんでいた帆はダラリと垂れ下がり、船は潮に流されるだけになってしまった。その時、遠くから何やら黒いものが二つ、船に向かって物凄い速度で近付いてくるのが見えた。始めは巨大な船かと思ったのだが、すぐにその正体は知れた。何とそれは大蛇の頭であった。長さは途方もしれず、尾の先は見えなかった。船の乗組員は慌てて櫂に飛び付き、全力で漕ぎ始めた。しかし、大蛇の速度は凄まじく、あっと言う間に船に追いついてしまった。
 二匹の大蛇は体を船に巻きつかせると、鎌首を擡げてクワッと口を開いた。乗組員は恐慌状態に陥り、成す術もなく、次々に蛇に呑み込まれていった。残った者は仲間の食われる悲鳴を聞きながら、ひたすら苦しまずに死ねるよう神仏に祈るのであった。
 船は大蛇に巻きつかれたまま、流されていった。しばらくして、一つの小島に流れついた。近づいてわかったのだが、その島には難破船の残骸が山のように積み上げられていた。恐らく乗組員は大蛇に食われてしまったのだろう。絶望が一同を襲った。その時、再び風が吹き始めた。
 彼方から、新たに蛇が三匹現れた。やはり物凄い速度でこちらに向かってくる。五匹の大蛇に一人残らず食われるのだ、と観念した時である。突然、船にからみついていた二匹の大蛇が離れた。そして驚いたことに三匹の大蛇の方に向き直ると、猛然と向っていくではないか。
 三匹の大蛇は砂浜に上がり、向ってきた二匹と死闘を繰り広げた。大蛇はもつれた糸のように絡み合い、締めつけ合った。その隙に、船は帆を上げて風に乗って逃れた。
 数日後、別の島を見つけた。立ち昇る煙が見え、どうやら人が住んでいるようである。船は入江に停泊し、張騎士と二人の者が偵察のため上陸した。
 三人はしばらく行くと、巨大な城門の前に出た。勇気を奮って案内を請うべく城門を叩いた。重々しい音を響かせて城門が開いた。中から出てきたのは背丈が数丈(注:一丈は3.1メートル)もあろうかという大男であった。全身にビッシリ白い毛が生えている。大男は張騎士の先に立った二人を引っ掴むと、頭からバリバリと食ってしまった。張騎士は恐怖に駆られて、後ろも見ずに逃げ出した。
 船にたどり着いた張騎士は手短に事情を話した。一同が急いで纜(ともづな)を解いているところへ、大男が姿を現した。纜の解けたかと思うと、大男はその端を掴んで船を引き戻そうとした。凄い力で船はジリジリと岸へ引き戻されていった。乗組員は弓矢で大男に射かける一方、躍起になって纜を刀で断ち切ろうした。岸に引き揚げられる寸前に、辛くも纜が切れ、ようやく岸を離れることが出来た。一里程行った頃、島を振り返ると、岸辺には白毛の大男が数十人も集まり、矛を手に手にこちらに向かって何やら叫んでいた。
 順風に乗って五、六日も漂流すると、遠くに島が見えた。今度も化け物の住む島かと思い、準備万端整えて上陸した。出会った島民は普通の人間だった。話してみると言葉も通じる。何処かと問えば、清遠県(注:現在の広東省)に属する島だということだった。

(唐『廣異記』)