琵琶なら私も…
三国呉の赤烏三年(240)のことである。句章(こうしょう)の楊度(ようたく)という人が、夜、馬車で出かけた。
途中、人気のない道端に琵琶を持った少年が一人立っており、馬車に乗せてくれと頼んできた。困った時はお互い様ということで、楊度は快く承諾した。馬車に乗り込むと、少年はお礼にと言って、琵琶を数十曲弾いて聴かせてくれた。なかなかの腕前で、楊度も気持ち良く聴いていた。曲が終わった途端、柔和だった少年の顔が悪鬼のようになり、眼をぎらつかせ舌を吐いた。楊度が驚いている内に、姿を消した。
恐ろしくなった楊度が一刻も早く人家のある所へ出ようと馬を飛ばして二十里ほど行くと、今度は老人が一人道端に立っていた。今度も妖怪かもしれないと、楊度が無視して通り過ぎようとすると、哀れそうな声を出して、
「怪しい者ではございません。疲れてもう歩けないのです。哀れな老いぼれと思し召してどうか乗せて下さい」
と言う。楊度もその老人の様子を見て哀れに思い、乗せてやることにした。老人は再三礼を述べて、馬車に乗り込んだ。夜道を行く内にだんだんに打ち解けて来て、また楊度も先ほどのショックが薄れて来たので、今しがたの自分の体験を老人に話して聞かせた。「えっ?妖怪ですと?」
老人はいかにも驚いた様子であった。楊度は茶目っ気を出して、この人の良さそうな老人を脅かしてやろうと続けた。
「ええ、私はまだ若いからいいけど、あなたはお年を召してらっしゃるので、お気をつけなければ。こんな夜更けにあのような恐ろしい目に遇うと心の蔵が止りますぞ」
老人は慌てたように訊ねた。
「一体、どんな様子をしていました?顔は?是非、お聞かせ下さい」
「そやつは琵琶を弾くんですよ。そして…」
「琵琶なら、私も…」
ポロンと琵琶を掻き鳴らす音が聞こえた。驚いた楊度が老人の方を向いた途端、そこには先ほどの妖怪が坐っていた。「あっ!」
と叫んだ途端、楊度の目の前が暗くなった。
(六朝『捜神記』)