玻瑠の瓶


 

 の貞元年間(785〜805)のことである。揚州の街角に一人の男が現れた。何処からやって来たのかは知らないが、気が付くと不思議な術で人気を博するようになっていた。男は名を胡媚児と言った。

 その日も胡媚児の不思議な術を見るために、揚州城内はもちろん郊外からもたくさんの人が集まっていた。人々の見守る中、胡媚児は懐から何やら取り出した。それは口の細い玻瑠(ガラス)製の瓶であった。容量は半升ほど、透き通っていて、中で日の光が踊っているのが見えた。胡媚児はその瓶を筵(むしろ)の上に置くと見物人に向かって言った。

「今日もこの不肖胡媚児めのためにお集まり下さりありがとうございます。このお見せすべき芸のない私めは皆様のお情けにお縋りして、何とか今日まで生を繋いでまいりました。感謝感激雨あられとはこのことでございます」

 いつも通りの前口上である。見物人の誰かが、
「今日は雨でも降らすのかい」
と野次を飛ばした。それに向かって胡媚児は軽く会釈を返して続けた。
「今日は恥を忍んで、このただでさえ分厚い面の皮を一層厚くして皆様にお願い申し上げたき議がございます。実はこの瓶を皆様のご好意で満杯にして頂きたいのでございます」
 瓶の口といっても葦の管くらいの太さしかない。銭なんて入れようにも入れられるはずがなかった。皆がこれも胡媚児のいつもの口上くらいに思ってクスクス笑って見ていると、見物人の一人が、
「俺が銭を百枚入れてやるぜ」
 と進み出た。男が銭を瓶の細い口に近付けた。

チャリィィー…ン

 瓶の中から玻瑠の触れ合う音が微かに響いた。見ると粟粒ぐらいの大きさの銭が瓶の底で光っている。別段瓶の口が広くなったわけではない。どういう仕掛けかはわからないが、瓶が銭を吸い込んだのである。見物人の見守る中、その男は残りの九十九枚の銭を次から次へ瓶の口に近付けた。銭はことごとく瓶の中に吸い込まれていった。
「ご好意ありがとうございます。しかし、まだ瓶は満杯になりませぬ。他にどなたかご奇特な方はいらっしゃいませんでしょうか」
「次は俺だ。一千枚出そう」
 一千枚の銭も難なく吸い込まれていった。一万枚でも、十万枚、二十万枚でも同じであった。瓶の中にはまだ充分余裕があった。
「馬は入るか?」
 誰かが言い出した。すぐさま馬が牽かれてきたが、しばらくすると瓶の底では蠅くらいの大きさの馬が軽くだく足を踏んでいた。馬の蹄の音が玻瑠に共鳴して何とも言われぬ妙音を奏で、見物人はうっとりと聞き惚れた。

 そこへ、馬車の一隊が通りかかった。数十輌の馬車は租税として徴収した穀物を満載していた。監督の任にあたっていた役人は人だかりを見ると、隊列に停止するよう命じた。人だかりの中心には玻瑠の瓶を手にした男が立っている。その男が瓶を逆さまにすると、中から先程吸い込んだ馬や大量の銭が流れ出てきた。この不思議に驚嘆した見物人は大喝采である。胡媚児は深々と礼をした。
「ご覧のようにこの瓶に入らぬ物はございません。しかし、惜しいことにこの瓶を満杯にできるものはないようでございますなあ」
 役人は人垣をかき分けて進み出ると、胡媚児に声を掛けた。
「おい、その瓶、馬車は入れられるのか?」
「私の瓶に入らぬ物はないと申し上げたでしょう」
「なら、あそこに止まっている馬車はどうだ?一輌や二輌じゃないぞ」
 そう言って役人は自分が監督する馬車の列を指さした。
「お安い御用です」
 胡媚児は瓶の口を馬車の隊列に向けて傾けると一喝した。

「入れっ!」

 すると馬車は風に吹かれたようにゆらゆらと揺れ始め、馬ごとふわりと宙に浮き上がった。しばらくの間、木の葉のように宙を漂っていたが、やがて大きく渦を描きながら次々に瓶の口に吸い込まれていった。数十輌の馬車が御者もろともことごとく吸い込まれてしまったのである。瓶の底では蟻くらいの大きさの馬車の行列が円を描きながらぐるぐると回っていた。皆が驚いて見ている内に馬車の行列は次第に小さくなり、やがて芥子粒ほどの大きさになって消えてしまった。
「すごいなあ…」
 見物人から感嘆のため息が漏れた。役人もしばらくこの不思議に見とれていたが、我に返ると胡媚児の方を見やった。
「おい、馬車を元に…」
  戻せ、と役人が続けようとした時である。胡媚児は身を翻して玻瑠の瓶の口へ飛び込んだ。あっと言う間に胡媚児は頭から瓶の口に吸い込まれてしまった。役人が慌てて瓶を掴むと、瓶の底では胡媚児がこちらに向かって舌を出している。カッとなって瓶を地面に叩きつけた。

ガ ツ シ ャ ー ン

 玻瑠の割れる鋭い音がし、破片が飛び散ったが、馬車も胡媚児の姿もどこにも見当たらなかった。

 一ヵ月余り後、清河(注:現在の河北省)の北で胡媚児を見かけた人がいた。その人の話によると、胡媚児は数十輌もの馬車の隊列を率いて東平(注:現在の山東省)へ向かっていたとのことである。以後、胡媚児の姿を見た人はいない。

(唐『河東記』)