麹秀才


 

 士の葉法善(しょうほうぜん)は未来を予見する力を備えていた。時の帝は、この法善の能力を高く評価し、師と仰いで鴻臚卿(こうろけい、注:宮中での儀式などを司る官)に任じていた。鴻臚卿の職にあると言ってもただの名誉職なので、法善自身は常に玄真観におり、名声を慕って訪れる多くの人との談論を心行くまで楽しんでいた。
 法善が客人たちといつものように談論に耽っていたある日のことである。皆、何となく酒が飲みたくなった。その時、誰かが門を叩く音が響いた。取次ぎの道士見習いが法善に告げた。
「麹(きく)秀才がお目通りを願っておいでです」
 麹秀才などという人物は初耳である。面倒くさく思った法善は、こう答えさせることにした。
「これから出仕しなければならないので、日を改めてお会いしましょう」
 そう道士見習いに言い含める言葉も終わらない内に、一人の秀才が入ってきた。見すぼらしい身なりのわりに、態度は大きかった。年は二十歳余り、色白で太っているが、中々の美男である。これが麹秀才であった。
 麹秀才はにっこり笑って居並ぶ客人に挨拶をすると、勧められもしないのにさっさと末席に座を占めてしまった。そして、声を張り上げて演説をぶち始めたのである。古今の事例を引用して、まことに立て板に水の如く、すらすらとまくし立てるので、これには一同、唖然としてしまった。全く訳が分からないのである。誰一人反論する者もなく、ただ呆然と見ていた。
 ひとしきり話しおえると、麹秀才は立ち上がった。
「ちょっと失礼」
 そして、そのまま疾風の如く立ち去った。
 麹秀才が出て行った後、法善は一同に言った。
「あの者は突然入ってきたかと思うと、あのようなことをまくし立ておった。おそらく人間ではあるまい。妖魅が我等を誑かしにきたのかも知れぬ」
 そこで、剣を隠して、妖魅に備えることにした。果して、麹秀才はまたやって来ると拳を振り上げ、手を打ち鳴らしながら、論をぶち上げ始めた。舌鋒鋭く、誰も太刀打ちできなかった。
 頃合いを見て法善が剣で斬りつけた。麹秀才の首はポロリと落ち、そのまま階の下まで転がり落ちた。途端に、それは甕の蓋に変わった。びっくりして、麹秀才の坐っていた所を振り返ると、そこには蓋のない甕が鎮座していた。芳醇な香りが鼻孔をくすぐるのでのぞいて見ると、縁までなみなみと美酒が満たされていた。皆、大笑いしながら、盃を持ち寄って、思う存分、美酒を堪能したのである。
 すっかり酩酊した法善達は酒甕を撫でながら、声高らかに歌った。

麹先生、麹先生
あなたのお味、忘れられん

(唐『開天傳信記』)