占い


 

 れは唐の話である。

 柳少游は占いをよくし、人の運勢をピタリと当てることで有名だった。それゆえ、都の長安で彼の名を知らない者はなかった。
 天宝年間(742〜756)のある日のことである。少游のもとを一人の男が訪ねて来た。男に対する少游の印象はと言えば、非常に曖昧模糊(あいまいもこ)としたものであった。光の加減のせいか、どの方向からも男の顔は影に包まれてよく見えないのである。体格は少游と同じくらい、声も聞く限りはおそらく同年代であろうと思われた。
 時候の挨拶をすませてから、男は絹布を一疋、見料として少游に贈って言った。
「私の寿命を占っていただきたい」
 こういう依頼は決して珍しいものではなかった。大抵の人は自分の寿命が気になるものである。少游は早速、筮竹(ぜいちく)を取り出して卦を立てた。その途端、少游の表情がこわばった。
「何と、貴殿の寿命は今日の日没と共に尽きまするぞ」
 それを聞いた依頼人は肩を震わせながら嗚咽(おえつ)の声を漏らした。
「そうですか…、そうですか…」
 しばらく泣いた後、ようやく落ち着きを取り戻した。
「ああ、すっかり取り乱してしまいました。すみませぬが、水を一杯いただけませぬか」
 少游の命ですぐに童僕が水を注いだ杯を運んで来た。童僕は珍妙な面持ちで少游と男の顔を見比べて、いつまでも杯を捧げ持って突っ立っている。苛立った少游が、
「早くお客様に水を差し上げなさい」
 と、男を指さして言った。童僕は釈然としない様子のまま、男の前に杯を置いた。

 男が帰ることになり、童僕が門まで見送った。不思議なことに男の姿は遠ざかるにつれ、だんだん薄らいでいき、最後には消えてしまった。その時、童僕は空中で哭声が響くのを聞いた。まるで死者を悼むような哀しげなものであった。
 少游のもとに戻った童僕はこう言った。
「旦那様は先程のお客様のこと、ご存じですか?私、ビックリいたしました。水を運んで来たら、旦那様が二人いらっしゃるではありませんか」
 その言葉に、少游はハッとした。
「恐らくワシの魂が抜け出したのだろう」
 送られた絹布を見てみると、埋葬の際、死者と一緒に埋める絹布に見立てた紙に変わっていた。少游はガックリと肩を落とした。
「魂がワシを見捨てたのだ。もうダメだ」

 日没と共に少游は亡くなった。

(唐『広異記』)