妖猫


 

 帖式(注:ビトヘシ。清代の官名。書記)の某公子の家は富裕であった。両親、兄弟共に存命で、家庭は円満、何一つ不足のない生活を享受していた。某公子の家は大所帯で、皆好んで猫を飼っていた。白いのや黒いの、斑(まだら)や縞など数え切れないほどであった。餌の時刻になると群れを成して食卓に集まり、騒がしいことこの上なかった。餌を食べ終わると丸くなって眠るのが常であった。

 ある日、公子が食後、夫人と閑談していた時のことである。
 たまたま夫婦二人きりで側に他の家人はいなかった。夫人が用を思い出して侍女を呼んだが、誰も答えるものがない。何度か呼んだ時、窓の外で夫人の代わりに侍女を呼ぶ声が聞こえた。しかし尋常な声ではない。公子が窓の簾を開くと誰もいなかった。ただ猫が一匹窓の下に蹲(うずくま)っていた。猫はこちらを向くとにっこり笑いかけてきた。公子はびっくりして夫人に告げた。家人が話を聞きつけて集まってきた。一人が猫に向って言った。
「さっき侍女を呼んだのはお前かい?」
 猫が答えた。
「そうとも」
 一同騒然となった。某の父は不吉なことと思い、家人に命じて猫を捕らえさせようとした。猫が叫んだ。
「ええい、寄るな、寄るな」
 そう言うとひさしに飛び上がり、どこかへ行ってしまった。その後数日間は何も起こらなかったが、家人一同この猫の話で持ちきりになった。
 それから数日後、下女が猫達に餌をやっていると、猫の群れに例の猫が混じって餌を食べていた。下女は急いで公子に告げた。公子と家人は大騒ぎでこの猫を捕えると縛り上げて鞭打った。猫はヒイヒイ悲鳴を上げるだけで、相変わらずふてぶてしい。
 公子がおのれ殺してくれよう、と刀を取り上げるのを父が止めて言った。
「ただの猫ではない。殺せば祟りをなすやもしれぬ。どこか遠くへ捨てるがよかろう」
 そこで、公子は二人の下僕に命じて猫をズタ袋に縫い込めて河へ投げ込ませることにした。二人の下僕が郊外へ出て河へ投げ込もうとした時、不思議なことに袋は空っぽになっていた。急いで邸に引き返すと猫はすでに戻っており、ちょうど簾を開けて寝室へ入って行く所であった。
 寝室では公子ら兄弟が両親を囲んで猫のことを話し合っていた。猫が入ってくるのを見ても、一同ボーッとしてしまい何の手出しもできない。猫は悠然と椅子に坐り、眦(まなじり)も裂けんばかりに父を睨み付けた。そして、髭を逆立て歯を剥くと声を限りに罵った。
「この老いぼれの死にぞこないがっ!ワシを溺れ死にさせようとしたな。お前は家ではお爺様などと持ち上げられておるが、ワシの家ではお前なんぞ孫の孫の孫にもならん。災いはお前の家庭の中にあるのさ。もっとも、もう少し間があるがな。軽々しくもこのワシを殺そうとするとはお門違いじゃ。今までのことをとっくり思い返してみろ。虫けらに等しい身でありながら、うまく取り入って禄を食みおって。刑部(注:法律部門の役所)を振り出しに上司の歓心を得て、二つの州の長官になったな。かなり酷いこともしたであろう。数え切れぬほど人を殺したであろうが。それなのに静かにご隠居様か?寿命を全うしようだと?思い上がりも甚だしいわ。人の皮をかぶった獣とはお前のことじゃ。ワシを化け物扱いするなど筋の通らぬ話じゃわい」
 と家人の知らないことまでまくし立てた。おかげで家中大騒ぎになり、この猫を捕えようと躍起になった。ある者は剣を振るい、ある者は銅の壷を投げつける。茶碗や香炉など手当たり次第に物を投げつけた。猫は笑うと身を起こした。
「さて、行くとするかな。じきにこの家は災いに見舞われるのだから、あえて争うこともなかろう」
 そう言って外に出るなり、庭の木に登ってどこかへ行ってしまった。以後、二度と現れなかった。

 半年後、公子の家は流行り病に見舞われ、ばたばたと家人が死んでいった。ひどい時には一日に三、四人も亡くなった。公子は土地争いに巻き込まれ、免官された。両親は相次いで死去した。二年も経たない内に家人から下僕に至るまでほとんどの者が死んでしまった。
 ただ公子夫妻と老僕一人、下女一人が残るだけであっという間に没落してしまったのである。

(清『夜譚随録』)