雷車
東晋の永和年間(345〜356)のことである。
義興(注:江蘇省宜興か)の周某という男が馬に乗り、二人の従者を連れて都を後にしたのだが、村に着かないうちに日が暮れてしまった。ふと見ると、道端に一軒の草で屋根を葺いたばかりの小屋がある。中から一人の娘が現れた。年の頃は十六、七、端正な容貌で、こざっぱりした衣裳を身に着けていた。
娘は周の姿を認めると、こんなことを言った。
「日も暮れて、村までまだまだありますのに、臨賀(注:現広西壯族自治区)の殿様はどうしてここにいらしたのでしょう」
周は娘がどうしてこのような呼びかけをしたのか不審に思ったが、一夜の宿を乞うことにした。娘は火を起こして食事の仕度をしてくれた。
初更(注:夜八時)近く、外で子供の呼ぶ声がした。
「阿香、いる?」
娘は答えた。
「いるわ。なあに?」
「お役人が呼んでるよ。雷車の後ろを押せってさ」
すると娘は周に向って、
「用事ができましたので、ちょっと出かけてまいります」
と言い残して出て行き、ほどなくして激しい雷雨となり、一晩中降り続いた。明け方近くに娘は戻って来た。
夜も明けて周が馬に跨って振り返ってみると、そこに小屋はなかった。一つの新しい塚がひっそりと立っているだけであった。塚の入り口には馬の尿(いばり)と草が残っていた。昨夜の娘がこの世の者ではないことを知り、周は驚き嘆いたのであった。
五年後、周は臨賀の太守となった。(六朝『捜神後記』)