商いの心得(四)


 

 まった人々は皆、不思議そうに甲板の上の蜜柑を見ているのである。
「そい、ないか?(それは何かいな?)」
 若虚は答える代わりに腐りかけのを一個取り出すと、皮を剥いて食べてみせた。そうする内にも桟橋の人だかりは増えていたのだが、皆、一様に驚いた。
「あい、くもんじゃ。(ありゃあ食うもんやわ)」
 物好きなのが一人、
「ひとっどしこごぁすか?(一つなんぼかいな?)」
 ときいてきた。若虚は相手が何を言っているのかわからなかったが、船乗り達にはわかるので、一つからかうつもりで指を一本立てた。
「ひとっ一銭じゃ」
 値段をきいてきた男は上着をまくり上げると、真っ赤な腹巻から銀貨を取り出して言った。
「ひとっくみもそ。(一つ食うてみよか)」
 若虚は銀貨を受け取ったのだが、それは表に水草模様が刻まれており、ずっしりと重くて一両くらいはありそうである。
「この銀貨でなんぼ買うつもりなんやろ。ほな、試しに一つだけ渡して様子を見てみよか」
 そこで、大きくて真っ赤なのを一個、選び出して渡した。男は蜜柑を手に載せて、しばらく撫でたり転がしたりしていたが、
「こいぁよかもんじゃ。(こりゃあ、ええわ)」
 と言って手で割った。甘酸っぱい香りが辺り一面に漂った。集まった人々は手を打って大喜び。男は先程の若虚を真似て皮を剥くと、そのままパクっと頬張った。口の中いっぱいに甘酸っぱい果汁が広がった。男は顔をクシャクシャにして、
「くぅう〜っ」
 と唸ると、そのまま種も吐き出さずにゴクリと飲み込んだ。人々は興味津々で男の反応を見守っていた。男は大きく頷いて笑い出した。
「ふ〜っ、こいぁんまかぁ。(こりゃあ、うまいわ)」
 またもや腹巻に手を突っ込むと、今度は銀貨を十枚掴み出した。
「じゅぅっこ、ほしか。みやげんしもんす。(十個、欲しいわ。土産にするわ)」
 若虚は飛び上がるほど喜んで、言われるまま美味しそうなのを十個選び出して男に渡した。男が蜜柑を買ったのを見ていた人々は、我も我もと銀貨を手に蜜柑を買い求めた。皆、口々に、
「よかけもんよ。(ええ買い物だわ)」
 と言って大喜びで帰って行った。
 若虚には相手が何を言っているのかとんとわからなかったが、表情から見ると、相手は得な買い物をしたつもりのようである。
「こっちこそ、ぎょうさん儲けさせてもろたわ。蜜柑なんかに銀貨を払いはるなんて、気前のええ人らやなあ」
 若虚は半分呆れてしまった。
 蜜柑は飛ぶように売れ、あっという間に三分の二を売ってしまった。金の持ち合わせがなくて、買えない者は歯噛みして悔しがり、大急ぎで家から金を持って来た。若虚は蜜柑が残り少なくなったのを見ると、手を振って蜜柑を指さしてから、自分の口を指し示した。これは残りは自分の食べる分であるから売れない、という身振りである。しかし、これは値段を釣り上げるための方便であった。すると、相手は蜜柑を指さして指を二本立てた。倍の二銭で買うつもりなのである。四銭差し出したので、蜜柑を二つ渡した。この人は、
「あったらし、あったらしか。もちっとんとこいでおそかった。(惜しい、惜しい。もう少しんとこで遅れをとったわ)」
 とぼやいていた。その場に居合わせた人達は値段が倍に跳ね上がったのを見て、
「おいもこうごあってに、ないごてわいどんねぇあぐっこつすっとね。(ワシも買うつもりだったんに、なしてあんたらは値を釣り上げるようなことしたんな)い」
 と怨んだが、その人は、
「わいどん、きっとっと。あんし、もううらんゆっとっと。(あんたらも聞いとったやろ。あん人はもう売らん、言うてはるわ)」
 としゃあしゃあとしていた。そこへ、黒い葦毛の馬が物凄い勢いでやって来た。馬上から男が大声で、
「まった、まった、まっとくっで(待て待て、待ってくれんかい)」
 と叫んでいた。

 

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