商いの心得(五)


 

 に跨がりこちらに向ってくるのは、先程蜜柑を十個買った男であった。男は飛ぶように船の側まで来ると馬から下り、人込みをかき分けながら、船へ向かって呼ばわった。
「ちまちまうるんはやめっど。こんおいがどっさいこうちゃるど。おいがとのっさあが大王っさあん献上するごあんしょおっしゃっとっど。(ちまちま売るんはやめんかい。このオレがぎょうさん買うちゃるわ。オレの殿さんが大王様に献上するとおっしゃりよるでな)」
 これを聞くと、集まっていた人々は散り散りにその場を離れた。遠巻きに事の成り行きを見守るつもりなのである。機転の利く若虚は言葉が分からなかったが、おおよその形勢の変化は看破できた。これはいい儲け話だということで、急いで籠をひっくり返してみると五十個余りしか残っていない。ちょっと数えてみてから、もったいぶって言った。
「ふむふむ、そうでんな、先程も申し上げましたとおり、残りは自分で食べる分ですよってにお売りするんはあきまへんなあ。まあ、どないしてもおっしゃるんなら、なんぼかお分けしてもええんはええんですが…。先程、どうしてもというお客さんがいらはったんで、一個二銭でお分けしたところですわ」
 すぐさま船頭が通訳して伝えてくれた。男はニヤリと笑って馬の背に付けた大きな袋を引きずり下ろすと、中から銀貨を取り出した。大きさは先程のものと同じであったが、表に樹木の刻印が刻まれていた。
「こい一枚でよか。(これ一枚でええわいな)」
 男が言った。若虚がびっくりして、手を振りながら、
「そんな殺生な。前のと同じのでないと売ることはできまへん」
 と言うと、男は今度は龍と鳳凰の刻印の銀貨を取り出した。
「こい一枚でもよか。(これ一枚でもええやろ)」
「いえ、いえ、前のでなければお売りできまへん」
 若虚があまりにも頑強に突っぱねるので、男は笑い出した。
「こい銀貨一枚で百個もろても、おいが損ど。冗談じゃんが。じゃっどん、わいはへんぶつど。前ん銀貨がよかち言う。よかよか、おいにずるっうっとっど。わいんお望みんやつをもう一枚増やしてんよかっど。(この銀貨一枚で百個もろても、オレの損やわ。冗談や。それんしてもお前さんはけったいな人やなあ。前の銀貨がええなんて言いよる。まあ、ええわ、オレに全部売ってもらおか。お前さんのお望みのをもう一枚増やしてもええで)」
 男が笑った理由はなぜか?それはこの国の不思議な貨幣制度に関係する。元来、この国では銀貨が流通しているのだが、刻印によってその価値が決まっていた。最も価値の高いものは龍鳳の刻印、次は人物、その次が禽獣、次は樹木という順で、若虚がこだわった水草の刻印のものは普段使用する最低のものであった。しかし、いずれの銀貨も、品質も同じなら目方も同じ銀で鋳造されていた。若虚の目にはこの国の人達がただの蜜柑に高価な銀貨を払っているように見えるが、実際には小銭で舶来の高価な品物を買っている感覚なのである。
 この取引に若虚に否やのあろうはずもない。早速取引成立とあいなった。若虚が残った蜜柑を数えてみると五十二個あったので、男は全部で水草銀貨百五十六枚を支払った。男は籠ごと寄越せと言って更に一枚の銀貨を払うと、籠を馬の背に括り付けてホクホク顔で一鞭くれて走り去った。遠巻きにしていた見物人達も品物がなくなってしまうと、てんでに帰って行った。
 若虚も人がいなくなったのを見ると、船室に戻って銀貨を秤にかけてみた。銀貨一枚が八銭七分あまりの重さで、それが千枚あまりもあった。船頭に通訳の礼として二枚与え、残りは全部風呂敷に包んでしまいこんだ。
「あの占い、よう当たるわ」
 喜びが後から後からこみ上げてきて、早く誰かにこの話を聞いてもらいたいものだと、張大らの帰りを待ちわびた。

 

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