南柯の夢(一)


 

 平(注:現山東省)の人、淳于[林+分](じゅんうふん)は呉楚地方の侠客であった。いつも酒を飲んでは高歌放吟(こうかほうぎん)し、細かいことにこだわらなかった。大変な資産家で同好の士を居候させて、ともに飲んでいた。
 一度は仕官したこともあった。その武芸を認められて淮南(わいなん)軍副将に任ぜられた。しかし、それも長くは続かなかった。おもねるということを知らない彼は、酒の席で上司の機嫌を損ね、免職されてしまった。それからは仕官の道を求めず、浪人として勝手気ままに酒に明け暮れる日々を送っていた。
 淳于[林+分]の家は広陵郡(注:現江蘇省)から東へ十里のところにあった。邸の南には槐(えんじゅ)の古木が一本あり、生い茂った枝が清らかな影を落としていた。夏場になると、淳于[林+分]はこの木陰で居候や友人達と痛飲するのが常であった。
 貞元十年(794)九月のとても暑い日のことである。その日も淳于[林+分]はこの木の下で二人の友人と酒を酌み交わしながら談笑していた。
 何とも暑い午後であった。淳于[林+分]はその暑さをまぎらわそうとして、いつもより余計に杯を重ねた。さすがの豪の者も飲み過ぎと暑熱に負けて、いささか気分が悪くなった。何度も生あくびをしていると、それを見かねた友人達が座敷まで運んでくれた。
「少し、休みたまえ。オレ達は今のうちに馬に飼葉をやっておくさ。貴公の落ち着くのを見届けてから帰ることにするから」
 淳于[林+分]は頭巾を脱いで横になった。その途端、猛烈な眠気に襲われて意識が朦朧(もうろう)となった……。

 ……紫の衣をまとった二人の男が座敷に上がってくると、淳于[林+分]の前に跪いて口上を述べた。
「我等は槐安(かいあん)国王の使者でございます。大王様よりあなた様を宮中へお連れしてまいれとのご諚(じょう)をたてまつり、お迎えに上がりました」
 淳于[林+分]は促されるままに身じまいを済ませると、二人の使者のあとについて出た。軒先には青く塗った四頭立ての車がとめてあった。七、八人の従者はいずれも美々しく装っていた。淳于[林+分]が車に乗り込むと、南に向けて出発した。
 車は槐の古木を目指し、庭を静々と進んだ。槐には根方に洞(うろ)がぽっかりと口を開けていた。不思議なことに洞は近づくにつれて見る見る大 きくなっていき、優に車を入れられるほどになっていた。もしかしてこちらが小さくなってるのかもしれない、などと淳于[林+分]はボンヤリと考え た。車は洞の中へと入っていった。
 突然、目の前が明るくなり、別天地が開けた。山川の眺めも気候も今まで見たことのないものであった。

 

進む