南柯の夢(二)


 

 十里も進むと、立派な城郭が現れた。人や車馬の往来が絶えず、たいそう繁盛しているようである。従者達が叱咤(しった)すると、往来する人々は慌てて道をあけた。
 城門にそびえる朱塗りの門楼には金泥で「大槐安国」と記した扁額が懸けられていた。門衛達が急ぎ進み出て挨拶した。そこへ、一人の騎馬武者が現れた。
「大王様におかせられましては[馬付]馬(ふば、注:天子の娘婿)殿は遠路はるばるお越しなされたゆえ、しばし東華館にてお休みいただきたいとの仰せにございます」
騎馬武者はそう言って、車を先導した。やがて開け放たれた門の前に着いた。そこで車を降りて門をくぐると、美しい庭に面した一室へ通された。室内は贅をこらし、たいそう居心地がよさそうである。茶菓を供されて一服しているところへ、呼ばわる声が聞こえた。
「右丞相様のおなり」
 紫の衣をまとい、象牙の笏を手にした貴人が現れ、うやうやしく頭を下げた。
「我が君、大王様におかせられましては、あなた様を是非ともお迎えし、ご婚儀を願おうとのよしにございます」
「私ごとき賤しき身分の者がどうしてそのようなことを望みましょうや」
 淳于[林+分]は恐縮した。右丞相は淳于[林+分]においで願いたいところがある、と言ってともに連れ立って歩き出した。百歩ほど行き、朱塗りの門を入った。そこには武器が並べられ、武装した数百人の兵士が両脇に控えていた。
 右丞相は淳于[林+分]を案内してひときわ壮麗な御殿へ上った。文武百官が整然と居並び、どうやら朝見の間のようである。数段高くなった玉座には背が高く、厳かな人物が坐っていた。槐安国王であった。
 国王は白い練り絹の衣をゆったりとまとい、頭には朱の華冠をかぶっていた。恐いものなどないはずの淳于[林+分]であったが、その威厳には圧倒された。直視することもできないまま突っ立っていると、傍らに控えていた侍従が促して拝礼させた。国王は淳于[林+分]に向かって優しい声をかけた。
「朕のもとに御身を召し出だした理由はすでに聞き及んでのとおりじゃ。実はつい先だって、御身の父君からお話があり、我等が小国なることをもいとわず、次女の瑤芳(ようほう)との縁組みを約束なされたのじゃ」
 淳于[林+分]の父は辺境守備の将軍になっていた。ある時、夷狄(いてき)の軍勢に飛び込み、そのまま帰ってこなかった。その生死のほども定か ではなかったが、そうおいそれと死ぬようにも思われず、どこかで生きているような気もしていた。今ここで父の話が持ち出されてみると、やはり生きていて北方の夷狄と何らかの関係を結んだのか、とも考えた。そうなると槐の洞を抜けただけで異国に着いてしまったこの不思議はどう説明がつくのだろうか。淳于[林+分]は考えれば考えるほど頭が混乱し、そのまま平伏していた。
 国王は優しい調子で続けた。
「まずは休息なされよ。おっつけ婚儀の準備が整うであろうから」

 婚儀が執り行われたのはその夜のことであった。数十人の美女が珍しい音楽を奏でる中、淳于[林+分]を乗せた車はゆっくりと進んだ。車を先導するのは燈火を手にした美しい女官達である。左右には金と翡翠で飾られた衝立(ついたて)が延々数町もの間続いていた。
 淳于[林+分]は車の中に夢見ごこちで坐っていた。今日一日の出来事が少しも現実に思われないのである。くしゃみかあくびでもしたら、すぐに覚めてしまう夢のようであった。車はやがて一つの門の前で止まった。扁額には「修儀宮」と書いてあった。
 淳于[林+分]は車から降りると、女官の導きで御殿へ通された。衝立の果てには大きな扇が重ね合わされて扉のようになっていた。扇が開かれ、花嫁が姿を現した。金枝(きんし)公主瑤芳であった。

 

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