塩官の娘船頭(後編)
その夕刻、梁生の舟の窓を叩く者があった。窓を開けてみると隣の小舟から老人が身を乗り出していた。
「今、そこの村で酒を買ってきたところですが、寒さしのぎに一杯いかがです?」
「雪の中の小舟一艘、まさに酒を飲むべし、です。喜んでうかがいましょう」
梁生が老人の小舟に渡ると、雪明りがさし込んでとても明るい。その雪明りの中で薛素が酒の用意を整えて待っていた。
父親は梁生に酒を勧める一方で、自分もさかんに盃をあおった。十数杯も空けるとすっかり酔いつぶれてしまい、ゴロリと横になるなりいびきをかき始めた。
薛素は梁生の酌をしていたが、父親が寝てしまうのを見ると小声で、
「若様はおいくつになられます?」
ときいてきた。
「十七だよ」
そう答えると、薛素はほほ笑んだ。
「あたしは十五です」
次に薛素は梁生の本籍や家族、結婚しているかどうかをたずねた。
「まだだ」
この答えを聞くと薛素は口をつぐんでしまったが、しばらくして、ため息をついて再び酌を始めた。梁生も黙ってつがれる酒を飲んでいた。その時、外で、
「氷が溶けたぞ」
と騒ぐ声が聞こえる。梁生の舟からもじきに出発するからと迎えが来た。梁生が急いで腰を上げようとするのを、薛素が引き止めた。
「人の世のめぐり会いにはきっと何か縁があるはずです。水に浮かぶ小舟、天涯に咲く花にだって情があるというのに、何をそんなに急ぐのでしょう」
梁生は問い返した。
「どうすればいいの?」
薛素は、
「石門まで送らせていただきたいのです」
と言って寝ている父親を起こして、二言三言耳打ちした。父親は起き上がってとも綱を解くと、またもやゴロリと横になっていびきをかき出した。 薛素は灯心をかき立ててから、盃になみなみと酒をついだ。
「若様は身を託すことのできる立派なお方とお見受けします。浮き草のようなあたしが若様にふさわしいとは思っておりません。奥様にしてほしいだなんて身のほど知らずなことは言いませんわ。お妾の一人に加えてもらえればいいのです。お願いです、あたしを連れて行って」
梁生は黙ったまま答えなかった。薛素も何も言わない。重苦しい沈黙の中で父親のいびきだけが響いた。
薛素は顔を覆って泣いた。
「無理なことはわかっていたわ。あたしをバカな女だと思わないで」
梁生は優しくなぐさめの言葉をかけた。
「この広い天が下、次に会うことは難しい。さあ、今は酒を酌み交わそう、歌おう。何を嘆いているんだい」
そう言われて薛素は歌い出した。
外では慌てものの鶏が、もうときを告げているわ
岸辺の雪を溶かす雨音も朝だと言っている
あたしは若様を送っていく
若様を送る波を憶えておこう
何てつらいことなの
たった一つの春の思い出
すでに東の空が白んでいた。父親が目を覚まし、梁生に舟へ戻るよう促した。薛素は目に涙をいっぱい浮かべて、無言で梁生を見送った。
翌年の秋、梁生はふたたび塩官を訪れた。前年、足止めを食ったところを通りかかったので、薛素父子のことをたずねてみると、
「あの父子なら舟でよそへ行きましたよ。行き先ですか?さあ、知りませんね」
とのことであった。(清『柳崖外編』)