十三郎と阿霞(三)
阿虎は横腹からおびただしく出血し、やがて絶命した。十三郎は拳を振り上げて叫んだ。
「死ね、悪党!張阿虎を殺したのは晁十三郎だ。僕は父に加えられた恥辱をそそいだぞ」
それから驚きのあまり声も出ない一同に向き直って、
「お集まりの皆さん、僕はこれから役所に出頭します。どうも、ご迷惑をおかけいたしました」
と言うと、軽く会釈を残して出て行った。十三郎が立ち去ってから沈黙を破って魏氏がワッと泣き出し、人々もようやく口が利けるようになったのであった。
十三郎はその足で県の役所に駆け込み、張阿虎を殺してきた、と名乗り出た。知事の平原公は廉直な人柄で、殺された阿虎の日頃の行状について調査した上で阿虎の妻子を呼び出した。
「人を殺した者を死刑に処するのは当然のことだ。それに下手人も己が殺人を犯したことをはっきり認めている。しかるに、下手人はまだ十四の子供だ。しかも父を救おうという一心から、凶行に及んだというではないか。これは立派な孝ぞ。ゆえに通常の殺人事件として処理するわけにはいかぬ。もしもこのことが帝のお耳にでも達すれば、それこそお咎めを受けるのはこのワシだからな」
平原公は阿虎の遺族にこう申し渡してから、十三郎に死一等を減ずると言い置いてひとまず獄に下した。翌年の春、判決が下り、十三郎は遠く四川の豊都県へ流刑に処せられることとなった。浙江の人間にとって四川は地の果ても同然であった。途中には難所も数多い。罪人の身には辛い旅路である。豫夫妻はおそらく息子は二度と戻ってこないだろうと思い、涙に暮れた。
いよいよ出立の日がやって来た。十三郎はひたすら泣き続ける両親に向かって言った。
「父さん、母さん、僕が短気を起こして人を殺めたばかりに、お二人を嘆かせることになってしまいました。これにまさる不孝はないでしょう。僕はこれ以上の親不孝の罪を犯さないためにも必ず戻ってきます。実は夕べ、不思議な夢を見ました。紫の衣をまとった人が僕にこう言ったんです。
『汝は三年の配流(はいる)の後、故郷に戻るであろう』
と。僕は、これはきっと神様のお告げだと思っています。ですからお願いです。僕がいない間、神様にお供えを欠かさないように。神様のご機嫌を損ねたら、本当に二度と戻ってこられなくなりますから。それと……いえ、これは今の僕からは言えません」
十三郎は言いにくそうに言葉を濁した。すると、豫は息子にすがりついて泣いた。
「ああ、情けない。すべてはこのワシが臆病だったからこうなったのだ。ワシがもう少ししっかりしておれば、息子のお前にこんな苦労をさせることはなかったのに。ワシはこれでもお前の父親だ。他に何か頼みがあるのなら、隠さずに言ったらいい。それともこんな不甲斐ない父には何も言えぬのか?」
こう問い詰められては十三郎も打ち明けるしかなかった。
「実はもしも生きて帰ってこられたなら、葉家の阿霞を妻に迎えたいのです。どうか、仲人を立てて結婚を申し込んでください。僕が三年経っても戻ってこなかったら、その時には他家に嫁ぐことを許してやって下さい。これが僕のお願いです」
「わかった、必ず話を取りまとめるからな」
そして、涙ながらに別れたのであった。
豊都県への行程は過酷を極めたが、十三郎は耐え抜いた。幸いなことに配所の長官は十三郎が殺人を犯した経緯を耳にしていて目をかけ、自分の身辺で召し使うことにした。おかげで重労働を免れることができた。十三郎が豊都県に流されてから二年が経ったある日、長官の巡察に随行員として同行することとなった。その帰路、十三郎の乗った馬はだんだん歩みがのろくなり、見る見る長官一行から引き離されてしまった。気がつけば日もとっぷり暮れていた。一人心細さに山道を行く十三郎の前に突然、立派な門構えの邸宅が現れた。十三郎がこんなところにこんな立派な邸があったかしら、と思いながら通り過ぎようとすると、青衣をまとった小間使いが駆け出してきた。小間使いは満面に笑みを浮かべて、
「若様、もう空には星が出ておりますわ。長官様のお車はとっくに城内にお戻りになられました。ここから先には泊まれるようなところはございません。この辺りの山には虎や狼がウヨウヨしております。恐ろしくはありませんか?この邸は若様のご親戚筋のものです。どうぞ、お寄りになって一休みしていらっしゃいませ」
十三郎はいぶかしく思いながらも言われるままに馬を近くの木に繋ぎ、導かれるままに小間使いについて門をくぐった。星影の下に数多くの立派な楼閣が浮かび上がり、まるで王侯貴族の住まいのようであった。いくつにも曲がりくねる回廊を通り抜け、やがて一際豪華な広間に通された。そこには妙齢の美女がきちんと坐って彼を待っていた。美しい女主人は十三郎の顔を見るなり、
「ご両親はお元気ですか?」
とたずねてきた。十三郎が驚いて問い返すと、それは父方の末の叔母であった。十三郎はこの叔母は自分が生まれる前に亡くなったと聞いていたので、
「叔母様、生きておられたのですか?」
と不思議に思いながらも、改めて甥として挨拶をした。