十三郎と阿霞(四)


 

 母が身内の者の名を一々挙げ、その近況をたずねてきたので、十三郎は自分の知っている限りを答えた。
「皆様には随分ご無沙汰しているわ。それにしても今日ここで甥と会えるなんて思いもよらないことでした。これも天のお引き合わせでしょう」
 叔母はそう言って涙を流した。
 その時、にわかに邸内が騒がしくなった。そこへ先触れの従者が姿を現して主人の帰宅を告げた。
「旦那様のお帰りだわ。そうね、あなたはしばらくそこの帳(とばり)の陰に隠れていなさい。私が声をかけるまで出てきてはなりませんよ」
「叔母様、いつ結婚なさったんです?」
 十三郎の問いかけに叔母はプッと吹き出して、
「お馬鹿さんね。誰だって年を取れば結婚くらいするわ。さ、早く隠れて」
 そう言うと、十三郎を帳の陰に押し込んだ。
 十三郎が息をひそめていると、主人が靴音を響かせて広間に入ってきた。それを出迎えた叔母とのやり取りから、主人が久しく家を空けていたことが察せられた。それから留守居の使用人達が主人に、主人の従者達が叔母に挨拶する声が聞こえた。続いて叔母が酒の用意を命じた。
 十三郎はじっと聞き耳を立てて広間の様子をうかがっていたのだが、叔母の夫という人の姿を見てみたくなった。
「叔母さんも覗くなとは言ってないや」
 帳の隙間から覗いてみると、ちょうど叔母夫婦が向かい合って酒を酌み交わしているところであった。
「どれどれ…あっ!」
 その顔を見た十三郎は思わず声を上げそうになった。叔母の夫という人はどす黒い顔にびっしりと生えた赤い髭、まなじりを裂けんばかりに見開き、その口元から乱杭歯をのぞかせた何とも凶悪な形相をしているのであった。叔母はと見れば、愛情に満ちた眼差しでこの醜悪な夫をうっとりと見上げているではないか。十三郎が固唾を飲んで見守っていると、叔母の夫は片手を上げてその恐ろしげな顔をつるりと撫でた。
「あっ!」
 見ている前で、夫の顔の皮が剥げ落ちた。実際のところそう見えただけで、落ちたのは仮面であったのである。仮面の下から現れた顔は瑞々しい美青年のものであった。傍らに控えた従者が醜悪な仮面を運び去った。
 二人はしばらくの間酒を酌み交わしていたが、美青年はふと盃を運ぶ手を止めた。そして形のよい鼻をひくつかせると、厳しい口調で言った。
「邸内に生者の気があるな」
 叔母は慌てて立ち上がり、居住まいを正して懇願した。
「私の甥の十三郎がこの地に流されております。夜道に難渋しておりましたので、ここに泊まらせることにいたしました。どうぞ、あの子を哀れと思し召してお許し下さい」
 美青年は顔をほころばせて、
「何を水臭い。そなたの身内は私の身内だ。早速会わせてもらわねば」
 そこで十三郎は隠れていた帳の奥から呼び出された。
 十三郎は美青年の前に出ると、跪いて拝礼した。美青年は十三郎の風雅な容貌と挙措にいたく満足し、
「これで私も叔父さんというわけだ」
 と喜んだ。改めて酒と料理の用意を命じ、十三郎を隣に坐らせた。
「私達と同じものを君に飲ませるわけにはいかないんだ。悪く思わないでくれたまえ」
 美青年はこう言って詫びたが、十三郎は気にならなかった。実家の様子をたずねてきたので、十三郎は大まかに答えた。この地に流された理由に言及すると、十三郎は口ごもってしまった。美青年はうなずいて従僕に何やら命じた。しばらくして従僕は一冊の帳簿を持ってきた。
「これをご覧」
 美青年は十三郎に帳簿を手渡した。そこに書かれていたのは十三郎自身の記録であった。出生に始まり、彼に関する一切のことが記されていた。頁を繰るうちに、
「為父報仇(父のために仇を討つ)」
 の四文字が目に飛び込んだ。金泥で記されたその文字は燦然(さんぜん)と輝いていた。そのまま頁を繰っていくと
「官至総兵(官、総兵に至る)」
 とあった。それに続けて小さい文字で何か書いてある。目を凝らして読もうとしたら、美青年に取り上げられてしまった。美青年は首を横に振ってみせると、従僕に帳簿を片付けさせた。
 こういう形で改めて己の人生というものを目にした十三郎はにわかに幸せだった日々を思い出した。何不自由のない暮らし、優しい両親、毎日の塾通い、そして、阿霞…。ああ、可愛い阿霞、彼女はどうしているだろう?
「悲しそうな顔をしてどうしたのかい?」
 美青年が声をかけた。
「僕は己の罪ゆえに悲しいのです。年老いた父母の面倒を一体誰が見ているのでしょう?頼りになるのは僕しかいないのに…」
 そう言って涙を落とす十三郎を美青年が慰めて言った。
「ご両親はご健勝だ。じきに会えるから悲しむことはない」
 そして腰元に、
「歌の上手な者をお呼び。坊ちゃまを慰めてさし上げるのだ」
 命じた。間もなく腰元の一群が現れた。

 

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