霍小玉伝(五)
家中大騒ぎとなった。実は前の晩、小玉は黄色の着物の美丈夫が李益を連れて来る夢を見たのであった。美丈夫は李益を席に着かせてから、小玉に鞋を脱がせた。そこで目が覚めたのである。小玉は自分で夢解きをして母に話して聞かせた。
「鞋(かい)は『諧(とと)のう』の意味だわ。音が一緒ですもの。李様と再会できるということだわ。それを脱いだのだから、解けるということね。会って解ける…、ああ、永のお別れなんだわ、李様に再会した後、私は死ぬのね…」
そして、母にせがんで化粧をしてもらった。母は病のせいで娘の気が違ったのだろうと思って嘆いた。涙を落としつつ、髪を結い上げ、化粧をしてやった。その用意が整ったちょうどその時、李益が連れて来られたのであった。
小玉はもう衰弱しきって寝返りを打つにも人手を借りていたが、李益が来たと聞くと自分で起き上がり、着替えて出てきた。まるで何かに取り憑かれたかのようで鬼気迫るものがあった。小玉は無言で李益をじっと見つめていた。李益の方は疚(やま)しさから視線を合わせないようにしていた。
しばらくして外から酒と料理が届けらた。聞けば例の美丈夫が用意してくれたものであった。宴の準備が整い、一同席に着いた。小玉は李益と並んで座ったが、相変わらず視線を彼に注いだままであった。やがて、杯を取り上ると傾けて酒を地に注いで言った。
「ああ、私は女であるがゆえに男のあなたの裏切りに遭いました。私はあなたを恨みながら死んでいきます。母がありながら孝養を尽くすこともできません。全てはもうおしまいです。李様、李様、もうお目にかかることもありませんわね。私の魂魄(こんぱく)は死んだら幽鬼になって、あなたの奥様やお妾さんを一日たりとも落ち着かせないでしょう。それもこれも全てあなたのせいです」
言い終えると最後の余力を出して左手で李益の腕を掴んだ。そして、右手で杯を地面に投げつけると、そのままガックリと仰向けに倒れた。母親が慌てて助け起こしたが、その瞳からは生命の灯は消えていた。母親はその体を李益の胸に抱かせ、その名を呼ばせたが、息を吹き返すことはなかった。こうして小玉はその短い生涯を閉じた。李益は喪服を纏い、小玉のために泣いた。朝も夕も泣き続けた。埋葬の前の晩のことである。李益が小玉の棺の前で泣いていると、帳を透かして人影が見えた。目を凝らしてみると小玉であった。出会った頃の光り輝くような艶やかな姿であった。石榴色の裳に紫の胸当て、紅と緑に染め分けられた打ち掛けを羽織っていた。帯を爪繰りながら、李益に流し目をして言った。
「あなたに見送って頂けるなんて、まだ少しはお情けがのこっていらしたのね。ありがたいことですこと」
そして、消えた。
翌日、亡骸を長安郊外に埋葬した。李益も埋葬に同行し、墓前で存分に泣いてから帰宅した。一ヶ月後、盧氏との婚礼を済ませたが、しばらくは小玉のことが思い出されて怏々(おうおう)としていた。五月になって盧氏を連れて赴任先の鄭県へ戻って行った。
そ れから十日ほど経った時のことである。李益が妻と寝んでいると、帳の外で男の声がする。驚いて見ると、二十歳余りの美貌の青年が帳の陰から妻に呼びかけているのである。慌てて飛び起きて帳を跳ね上げてみると、そこには誰もいないのであった。これより、李益の心に妻への疑惑が生じた。夫婦仲は次第にギクシャクしたものになっていった。親しい人のとりなしもあって、何とか収まるかに見えた。
それから十日後のことである。李益が外出から帰ると、盧氏は寝台に腰掛けて琴を弾いていた。突然、戸口から螺鈿細工の小物入れが放り込まれ、盧氏の胸元に落ちた。取り上げてみると蓋が開かぬよう薄絹のリボンで同心結びにしてある。この結び方は恋人同士で用いられるものだから、李益の心中は穏やかでなかった。蓋を開けてみると紅豆の実が二粒と米搗き虫が一匹(注:どちらも恋を表すもの)、それと媚薬(びやく)が少々入っていた。怒りの余り前後の見境のなくなった李益は琴を取り上げると妻を散々に殴り付け、声を荒げて問い詰めた。盧氏の口からは何の申し開きもなかった。
これが死せる小玉のなせるわざなのか、はたまた盧氏が本当に不貞を働いていたのか、それは分からない。それからというもの、李益は常に妻に暴力を振るい、終いには裁判沙汰を起こして離縁してしまった。
その後も腰元に手を付けたり妾を置いたりしたが、李益の嫉妬深さは常軌を逸していった。中には殺される者もあった。
広陵(注:現在の江蘇省揚州)に遊んだ時、営十一娘という名妓を身請けした。潤いのある美貌で李益の寵愛は並大抵のものではなかった。二人きりになると李益はいつもこんなことを言った。
「わしは以前、お前のように美しい女を手に入れたが、わしに背いたので殺してやったわ」
こう話す時の李益の目には狂気の光が宿っていた。
出かける時には必ず営を寝台にうずくまらせその上から盥(たらい)を被せた。帰ってくると、細かく調べてから初めて盥を除けるのである。また、一振りの鋭利な短剣を身に付け、腰元達に見せては言った。
「これは信州(注:現在の江西省)葛渓の鉄だ。罪を犯したらこれで首を刎ねてやるわ」
女達は李益を恐れ、李益は女達を疑った。李益は三度娶ったが、いずれも長くは続かなかった。
(唐『霍小玉伝』)